2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

吉野作造と柏木義円と斎藤勇:水原虐殺事件

20110415 斎藤勇が「或る殺戮事件」を書く契機となった堤岩里事件について、吉野作造も「朝鮮統治の改革に関する最少限度の要求」と題する講演において言及している。これは、1919年6月25日に開かれた第6回黎明講演会で行われたものであり、『黎明講演集』第…

吉野作造の死

20110414 昨4月13日、東京学士会館で第84回南原繁研究会が開かれた。読書会形式を積み重ねる方式で、今回は鈴木英雄会員による『歌集形相』の前半を対象とした報告がなされた。その中で、吉野作造を詠んだ歌が紹介された。 昭和14年1939年、外は日中戦争が戦…

吉野作造と小野塚喜平次:総長演述

20110412 吉野作造と小野塚喜平次:総長演述 日本における政治学研究の第一世代の一人として小野塚喜平次がいる。明治3年12月21日(1871年2月10日)新潟県は長岡の生まれ。昭和19年1944年11月26日逝去。昭和3年3月東京帝国大学総長古在由直病気により総長代理…

吉野作造と共産党宣言:鈴木東民・宮沢賢治

20110411 戦後初期の読売争議のリーダーとして知られる鈴木東民を描いた作品に鎌田慧『反骨 鈴木東民の生涯』(講談社、1989年)がある。この中に東民が吉野作造から頼まれて『共産党宣言』を翻訳する話が出てきて、驚いた。森戸事件では、吉野自身は必ずし…

吉野作造とエスペラント

20110410 臨済宗南禅寺派の禅僧で仏教学者の柴山全慶は「教界エスペラント運動茶話」(1960年)において、《日本で最初にエス語を研究した人が明治33年東大在学中の吉野作造氏であるとすると・・・。聞くところによると、あの博物学者で名高い丘浅次郎博士が…

吉野作造と森戸事件

20110410 吉野作造と森戸事件 東京帝国大学の編制変えが行われ、法科大学が法学部と経済学部となったのは1919年4月である。そして法科大学の政治学・経済学・公法学分野の機関誌であった『国家学会雑誌』から独立するかたちで経済学部の機関誌『経済学研究』…

震災後の吉野作造:甘粕正彦

20110406 震災後の吉野作造:甘粕正彦関東大震災の翌年大正13年1924年11月、吉野作造は「悪者扱さるゝ私」において憲兵の機関誌『軍事警察雑誌』を引き、憲兵や右翼から狙われていることを敢えて活字に残し、江湖の注意を喚起していた。そして、大正15年1926…

震災後の吉野作造:自宅放火される

20110406 吉野作造の三女・光子は2006年2月に亡くなっている。100歳。その遺族が同年8月に吉野作造記念館に寄贈したもののひとつに、吉野が晩年住んでいた東京駒込の家に掲げられていた自筆の表札がある。自分の名前と住所を記しているという。この表札は…

日産書房:小林秀雄、金田一昌三、山本健吉、三浦徳治と矢内原忠雄『内村鑑三と新渡戸稲造』(1948)

20170527記 【日産書房:小林秀雄、金田一昌三、山本健吉、三浦徳治】「戦後北海道の出版文化」展で矢内原忠雄『内村鑑三と新渡戸稲造』(日産書房 1948)が展示。この日産書房は、発行者の三浦徳治と札幌の金田一昌三が運営したようで、その奥付住所は港区芝…

震災後の吉野作造:「悪者扱さるゝ私」

20110406 震災後の吉野作造:「悪者扱さるゝ私」 3.11大災害後、宮城県大崎市出身である吉野作造の関東大震災以後の文章を読み返している。『公人の常識 主張と閑談第四集』(文化生活研究会発兌、大正14年12月18日発行、大正15年1月24日四版、定価2円)の中…

震災後の吉野作造:殺害の対象

20110406 震災後の吉野作造:殺害の対象戦前は羽田書店*に入り、1945年みすず書房の設立に携わり、45年間編集責任者をつとめた小尾俊人は、戦後を体現する代表的編集者のひとりである。小尾の『出版と社会』(幻戯書房、2007年、654頁、税込9975円)は、関東…

札幌の天地・佐藤昌介、新渡戸稲造、宮部金吾、有島武郎:裳華房、北海道大学出版会

20110829 札幌の天地・佐藤昌介、新渡戸稲造、宮部金吾、有島武郎:裳華房、北海道大学出版会 8月24-27日、札幌で大学出版部協会夏季研修会が開かれた。主催者が養視された宿泊先が全日空ホテルであり、そこでたまたま、土産としてミルククッキー「札幌農学…

佐藤昌介と大学出版:札幌農学校、ジョンズ・ホプキンズ、北大

20110827 佐藤昌介と大学出版:札幌農学校、ジョンズ・ホプキンズ、北大 8月25・26日、北海道大学を会場として大学出版部協会夏季研修会が開かれた。メインの会場となった北大学術交流会館の向かいには、札幌農学校の一期生であり、北海道帝国大学初代総長で…

新渡戸稲造『武士道』日本語版の刊行

20110512 新渡戸稲造『武士道』は英文版がもとであるが、その英文版について、著者本人は、「日本では誰もこの本を読みたいとは思わぬ、出版など考えもしないだろう」と考え、日本での英語版出版も、また日本語訳出版も考えなかった。日本語訳版出版を考えた…

新渡戸稲造のBUSHIDO 刊行をめぐって

20110430 新渡戸稲造のBUSHIDOは、1900年、フィラデルフィアの The Leeds and Biddle Company から刊行された。この英文が執筆される経緯は、たくさんある日本語訳版の解説でも触れられているので、ここでは繰り返さない。フィラデルフィアでの出版と同時に…

斎藤勇と小野塚喜平次/内村鑑三、新渡戸稲造、吉野作造、南原繁: ノンクリスチャンということ

斎藤勇と小野塚喜平次: ノンクリスチャンということ キリスト教関係師友の思い出を綴った『思い出の人々』という本が斎藤勇にある。新教新書、1965年刊。取り上げられた内村鑑三、綱島梁川、植村正久、新渡戸稲造、高倉徳太郎、河本重次郎、吉野作造、羽仁も…

新渡戸稲造と家永豊吉と高田早苗:日本におけるUniversity Extension の導入

20110422 新渡戸稲造と家永豊吉と高田早苗:日本におけるUniversity Extension の導入 ジョンズ・ホプキンズ大学に学んだ新渡戸稲造と家永豊吉とは、1891年にThe Johns Hopkins Press から英文の図書を刊行した。前者は日米関係について、後者は明治憲法成立…

新渡戸稲造と大学出版部

20110421 新渡戸の第一作は英文の『日米関係史』(The Intercourse between the United States and Japan:Historical Sketch)であり、これは1891年にThe Johns Hopkins Pressから刊行されている。このことについて、南原繁研究会編『南原繁 デモクラシーとナ…

斎藤勇と新渡戸稲造:米国講座叢書のつながり

20110421 斎藤勇と新渡戸稲造:米国講座叢書のつながり 英文学研究の斎藤勇の著書に『アメリカの国民性及び文学』がある。1942年有斐閣刊。これは「米国講座叢書」の第5編として刊行されている。東大法学部の「アメリカ政治外交史」講座の前身「米国憲法、歴…

追悼:南原実氏

20131203 追悼:南原実氏 11月12日逝去。享年83.膵臓がんではあったが、まだ先と思われていた、とご遺族からお聞きした。あまり知られていないが、氏は、最初『生と死の妙薬』という邦題で刊行されたレイチェル・カーソン『沈黙の春』の訳者(青樹簗一)で…

中嶋洋平『サン=シモンとは何者か』(吉田書店、2018.12)に触れて

第181回復幸実学共働学習会講師:中嶋洋平(同志社大学助教)日時:2020/03/09(月) まず講師の履歴を『サン=シモンとは何者か』(吉田書店、2018.12) から引用する。《1980年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後…

「大和魂」ということ――萩「至誠館」で考えたこと

「大和魂」ということ――萩「至誠館」で考えたこと2017.5.6 先の拙文「至誠と公共」において、京都フォーラムの至誠館大学バスツアーで山口県萩市に行った際、実践部会メンバーと共に松陰神社の宝物殿「至誠館」を訪れ、難波征男先生の解説を受けながら、松陰…

真壁仁「大学出版の源流: 「官板」から「福澤氏蔵版」まで」

2013/04/05 『大学出版』94号(2013.4)が出来てきた。大学出版部協会50周年記念特集の第二弾。冒頭の真壁仁「大学出版の源流: 「官板」から「福澤氏蔵版」まで」が秀逸。18世紀末、幕府直轄となった昌平坂学問所の官板を大学出版の一つの源流と看做して追跡し…

古矢旬「丸山眞男と「アメリカ問題」」(『丸山眞男記念比較思想研究センター報告』11、2016.3)

20161017 古矢旬「丸山眞男と「アメリカ問題」」(『丸山眞男記念比較思想研究センター報告』11、2016.3)を読む。これは、2015年11月27日の東京女子大学での講演録。アメリカ研究者であり、また丸山眞男『超国家主義の論理と心理 他』(岩波文庫)を編集し卓抜…

石川九楊『日本の文字』(ちくま新書 2013)は、漢字・漢詩・漢文・漢語の流入する前の日本に万葉語が存在したのではないという。

2018/04/04 石川九楊『日本の文字』(ちくま新書 2013)は、漢字・漢詩・漢文・漢語の流入する前の日本に万葉語が存在したのではないという。《古代日本にも固有の言語は存在し、その土着的な言葉を用いて生活を営んではいただろう。弓なりの列島の永い歴史の…

京極純一先生を偲ぶ

20160717記 京極純一先生を偲ぶ20160715「京極純一先生を偲ぶ会」での挨拶の下原稿 私は、一人の編集者として、京極先生にお付き合いさせていただき、何冊かの著作を刊行させていただきました。先生については、たくさんの思うことがありますが、三つに絞っ…

「軍隊のお話(京極純一先生)」

20161016記 古いファイルを整理していたら「軍隊のお話(京極純一先生)」という題の400字11枚ほどのワープロ文書が出て来た。1994年9月14日、東京広尾の先生のお宅に行った際に伺った話だが、とても貴重なものと思って、帰社後、その日のうちにワープロで打…

西谷能英『出版は闘争である』(論創社)読了

2015/04/03記 未来社の社長である西谷能英さんの『出版は闘争である』(論創社)を読了。とても面白かった。出版と出版業界のこと、書籍と文字とに関してなど、いろいろと考えさせる本である。ぜひ、本に関心を寄せる人には読んでもらいたい。実は、2004年秋、…

飯田泰三『大正知識人の思想風景:「自我」と「社会」の発見とそのゆくえ』を読む

2019/04/03記 飯田泰三『大正知識人の思想風景:「自我」と「社会」の発見とそのゆくえ』(法政大学出版局 2017. 4)読了。本書は、著者の1973年度の博士論文「大正知識人の成立と政治思想:「文明批評家」の場合を中心に」を活字化したものであり、それに197…

本庄陸男『石狩川』を読む

20171117記 本庄陸男『石狩川』(『北海道文学全集8 開拓の礎』立風書房1990 所収)読了。戊辰戦争で賊軍となった仙台藩の支藩 岩出山伊達家は俸禄のほぼ全面的な削減にあい、藩主を先頭に家臣団の一部は新天地を求め北海道に渡り、石狩川沿いの当別開拓と…