斎藤勇と小野塚喜平次/内村鑑三、新渡戸稲造、吉野作造、南原繁: ノンクリスチャンということ

斎藤勇と小野塚喜平次: ノンクリスチャンということ

キリスト教関係師友の思い出を綴った『思い出の人々』という本が斎藤勇にある。新教新書、1965年刊。取り上げられた内村鑑三綱島梁川、植村正久、新渡戸稲造、高倉徳太郎、河本重次郎、吉野作造羽仁もと子などは、斎藤が付き合いのあった著名なクリスチャンである。唯一、ノンクリスチャンを斎藤は取り上げている。小野塚喜平次。戦前の東大総長である。
小野塚が、キリスト者新渡戸稲造と親友であり、内村鑑三と親しい付き合いをしたこと、また、キリスト教倫理を生活の原則として守ったと考えられること、を理由として、斎藤は取り上げているのである。
昨年6月に長岡市を訪れた時に、小野塚の墓参をした。お寺である。喜平次の名前もない、代々の塚に詣でて、現生を生きつつ、現生を超える、透徹した精神を感じたのは、思い過ごしだったろうか。
(以下は、その際の拙文。UP7月号に掲載。)

 

小野塚喜平次の長岡(UP1007) 
新潟県長岡市を訪れた。小会の出版製作のパートナー企業の集まりであるUP会の研修旅行(製紙工場見学)の一環としてである。
 新潟県は製紙産業の拠点。雄たる北越製紙の創業者田村文四郎は長岡市の出身。長岡は製紙において近現代日本の出版文化を支えたばかりではない。私ども出版人としては博文館の大橋佐平・新太郎親子の出身地として記憶に焼き付いている。明治二十年東京は本郷弓町に開業した博文館、取次の東京堂書店(今日も小売書店として健在)、共同印刷、広告の内外通信社、洋紙販売の博進社、また大橋図書館(三康図書館)等は大橋一族の出版文化世界構想の産物である。
 特筆すべきは、小会設立の提唱者南原繁の恩師である小野塚喜平次(第十一代東大総長)の出身地が長岡であることである。そして、喜平次の父と大橋佐平とは、戊辰の役で潰滅した長岡の復興に尽力し、米穀取引所を共同して作った。さらにまた、日本の政治学の祖たる小野塚の第一著作『政治学大綱』上下は、明治三十六年、大橋新太郎を発行人として博文館から刊行されたのである。
 当地には河井継之助山本五十六の記念館のほかに「長岡高等学校記念資料館」がある。そこには、小野塚の長岡学校入学保証状(明治十六年七月二日付)が展示されていた。長岡学校は「米百俵」の明治二年の国漢学校→長岡洋学校の流れを汲む学校である。
 曇天のもと、長岡市下条町の専徳寺にある小野塚家の「先祖代々塚」に額付いた。明治憲法下で「衆民政治」を語った小野塚の理念と構想は、門弟たる吉野作造南原繁らの辛苦を経て、現代に引き継がれた。それは、本格的政権交代という一定の成果をみたが八カ月半で首相辞任。新首相誕生を当地で知り「永久革命としての民主主義」が念頭に浮かんだ。(T)