佐藤昌介と大学出版:札幌農学校、ジョンズ・ホプキンズ、北大

20110827

佐藤昌介と大学出版:札幌農学校、ジョンズ・ホプキンズ、北大

8月25・26日、北海道大学を会場として大学出版部協会夏季研修会が開かれた。
メインの会場となった北大学術交流会館の向かいには、札幌農学校の一期生であり、北海道帝国大学初代総長である佐藤昌介の胸像があった。佐藤昌介は大学出版にとってとても重要な人物である。近代大学出版部において日本人として初めて学術書を、しかも英文図書を著したのは佐藤昌介と推定されるからである。このことについて記しておきたい。

新刊の吉見俊哉『大学とは何か』(岩波新書)にあるように、近代大学のひとつの源流は1876年に創設されたジョンズ・ホプキンズ大学である。同大学は研究とその成果の公開を重視し、当初より大学出版部を併設した。この大学出版部から佐藤昌介は博士論文の『アメリカの土地制度』(英文)を刊行している。創校十年に満たない1886年のことである。
ちなみに、ジョンズ・ホプキンズの大学出版部より英文書を続いて刊行したのが、札幌農学校二期生の新渡戸稲造による『日米交流史』であり、同志社出身の家永豊吉による『日本の憲法制定』である。いずれも1891年。この新渡戸も家永も大学出版部にとって重要な人物である。
家永は、帰国後、東大や東京専門学校などに「ユニヴァーシティ・エクステンション」を伝えている。これを継承して東京専門学校出版部→早稲田大学出版部を率いて戦前の大学出版部隆盛を導いたのが高田早苗である。新渡戸稲造は、東大出版会の初代会長南原繁と二代会長矢内原忠雄の恩師にあたる。
これらのことを考えに入れるならば、ジョンズ・ホプキンズの重要さが、そしてその系譜の日本での源流にあたる佐藤昌介の重要さがわかるだろう。

私が宿泊した全日空ホテルは、旧札幌農学校の敷地の北東で、農学校の官舎があった所である。ここは新渡戸稲造・メリー夫妻が住み、新渡戸・内村鑑三と同期で農学校教授の宮部金吾が住み、そして有島武郎青年が新渡戸宅に寄宿した、まさにその場所である。また、一高校長新渡戸稲造を尊敬し、「ユニヴァーシティ・エクステンション」を表紙に刷り込んだ雑誌『国民講壇』を出した吉野作造は、北大教授森本厚吉・有島武郎とともに文化生活研究会を組織している。
エンレイソウを校章とした北大。佐藤昌介はじめ札幌農学校ゆかりの地で研修会を行えたことに感謝する。