津田左右吉について:遠山茂樹と小島毅

遠山茂樹

遠山茂樹著作集第8巻所収の「津田博士の天皇制論」は『津田左右吉全集』28巻月報(1988.12)に寄せたたもの。津田が敗戦直後の『世界』1946年3、4月号に発表した「日本歴史の研究に於ける科学的態度」と「建国の事情と万世一系の思想」を取り上げ、大方、高く評価しつつ、後者の末尾での天皇制擁護が、情緒に訴える人情論によるものでしかなかったことを、それまでの津田の学問的態度を放棄したものとして批判している。しかし、唯物史観に立つ遠山の批判は決して紋切り型ではないことは、次の末尾の文章にもあらわれている。

《〔二つの〕論文発表以後、月を経るにしたがってエスカレートする天皇制擁護と反マルクㇲ主義の時事評論およぴ歴史教育論の役割、そしてそれら論文と多年にわたる学問研究の成果とのかかわりは、やはり情勢の激動に流されて、変質といって良いほどの変化をとげたとの印象をぬぐいえない。……それにしても、大正デモクラシー期にその思想と学問を形成し、豊穣な内容を備えた自由主義者であるととに、熱烈なナショナリストでもあり、自己の研究の成果をもって知識人の社会的責任を果そうとした津田が、戦前·戦中。戦後と生きぬいた多彩な足跡を語る本全集は、近代·現代の思想史の貴重な、かつ彼個人の問題と片づけるわけにはいかない重要な問題をはらむ資料を提供しているのである。》

 

小島毅

小島毅「平泉でミイラに会った文化勲章受章者』(『UP』2021.11)は、菅義偉前首相による日本学術会議会員拒否問題に触れて、蓑田胸喜らの批判ののちの、津田左右吉の著作の発禁・起訴事件を扱ったものであるが、津田についての戦後および今日の評価については、次のように記されている。「津田は学術的良心を頑なに一貫固守したのである」が大方の評価なのだろう。

《津田はこのように「反国体思想」と批判されていたわけだが、敗戦をはさんで一九四五年以降は天皇制擁護の「反動思想」と批判されることになる。それは平泉で執筆された「建国の事情と万世一系の思想」(一九四六年)で戦後日本もひきつづき立憲君主制国家であるベきことを主張し、以後象徵天皇制を支持したからである。すでに言い古されているとおり、これは津田が転向したのではなく、世の風潮が右から左ーー私はフランス革命史観に批判的だが、仮にこの通俗表現を用いるーーに動いたため、彼の相対的位置が左寄りから右寄りになってしまったにすぎない。津田は学術的良心を頑なに一貫固守したのである。》