中嶋洋平『サン=シモンとは何者か』(吉田書店、2018.12)に触れて

第181回復幸実学共働学習会
講師:中嶋洋平(同志社大学助教)
日時:2020/03/09(月)   
 
 まず講師の履歴を『サン=シモンとは何者か』(吉田書店、2018.12) から引用する。
《1980年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程単位取得退学。フランス国立社会科学高等研究院(EHESS)政治研究系博士課程修了。政治学博士。現在、東洋大学ほか非常勤講師。
専門は、政治思想史・ヨーロッパ統合思想史。 著書・訳書に『ヨーロッパとはどこか――統合思想から読む2000年の歴史』(吉田書店、2015年)、ドミニク・シュナペール『市民の共同体――国民という近代的概念について』(法政大学出版局、2015年)。》
 この後、今年4月から同志社大学グローバル地域文化学部に助教として職を得たという。39歳。初めてのパーマネントの職である。博士が決して偉いわけではないことはよく承知しているが、しかしながら、40歳近くなるまで定職を得られないということは、現在の日本がいかに「学知」を見ているかが分かるひとつの事例である。
 
 わたし自身がサン=シモンについて知ったのは、もう50年以上も前、高校三年生の時にフリードリヒ・エンゲルスの『空想から科学への社会主義の発展』を読んだ時である。そこでは、マルクス・エンゲルスの「科学的社会主義」に対して、サン=シモンやロバート・オーエンやフーリエ社会主義思想を「空想的社会主義」として徹底的に批判していた。もちろん、何も知らない時であるから、そういうものかな、と思っただけである。
 ただ、その後、大学に入って近代日本史を自学自習していて、武者小路実篤の「新しき村」の運動が、日本のある種の共同体思想として意味があるのではないかと思い、「新しき村」の構想がロバート・オーエンの思想の日本版であるという評価を知り、「空想的社会主義」もそれなりに意味があるのではないかと捉え直す必要を感じた。そして、当時出ていた中央公論社の「世界の名著」シリーズで、オーエンやサン=シモンが収録されていた巻を購入し読んだが、その読後感については記憶がない。
 ついで「空想的社会主義」に出会ったのは、東京大学出版会に入り、30歳目前に編集部に配属され、労働問題研究を担当することになり、その観点から日本近代史を追跡した時、明治9年に先駆的に活版業印刷所・秀英舎を起こした佐久間貞一なる人物に出会った。「日本のオーエン」と言われる人である。
彼は、明治前期の進歩的実業家と評価される人であるが、秀英舎(大日本印刷の前身)などを創設し、出版製紙業界で活躍するかたわら、東京市会議員、東京商業会議所議員などを歴任した。改良主義的社会政策論を唱え、明治22年に秀英舎印刷工組合を組織し、八時間労働制、年金制を実施した。「空想的社会主義
 
 
 
 
 


エンゲルスに批判されたオーエン思想が確実に近代日本に根付いていたのである。
 
ついで「空想的社会主義」に関心を持ったのは、7、8年前に多才なフランス文学者である鹿島茂の『渋沢栄一』二巻本(文藝春秋、2011)を読んだ時である。これは400字1700枚近くの大作であり、企画から上梓まで18年近くを経過したという。鹿島の専門である19世紀フランス文学研究を活かした好著であり、鹿島にしか書けない渋沢栄一論、ひいては近代日本論とも評価できるものである。本書を読んで驚いたのは、鹿島による渋沢栄一論の独特の光源は「サン=シモン主義」であることである。それから照らされる渋沢とは何者か、さらに渋沢が作り上げた日本資本主義システムのよって来る所以は何か。幕末維新期にナポレオン3世治下のフランスに渡った渋沢栄一が、フランスでサン=シモン主義者から学んだということは全く知らなかった。つまり、「日本資本主義の父」と言われる渋沢栄一がサン=シモン主義者だったのである。驚かざるを得ない。
つまり、渋沢栄一といい、佐久間貞一といい、優れた近代日本の経営者は「空想的社会主義」の系譜を引く人だったのである。鹿島茂は「日本の資本主義が、渋沢栄一というサン=シモン主義者によって導かれたのは、日本の僥倖であった」という趣旨のことを書いている。これは、例えば、倉敷紡績を営み1919年に大原社会問題研究所を創設した大原孫三郎(大原美術館労働科学研究所をつくった人でもある)の事績とも比肩しうる日本の僥倖であったと思う。
このように見るならば、エンゲルスが否定的に語った「空想的社会主義」とは一体何だったのかが問われなければならない。
「空想的」の原語は「ユートピア的」である。19世期後半にエンゲルスが自らの立場を「科学的」(ドイツ語では「ヴィッセンシャフトリッヒ」であるから「学問的」という訳語をあてることもできる)と言うのは、「科学」という言葉が希望を与える時代であるからいい。しかし、2020年の今日から言えば、マルクス・エンゲルスの「科学的社会主義」もまた「空想的・ユートピア的」であった。そういう意味では、オーエンもサン=シモンもフーリエもちろん、そしてまたマルクス・エンゲルスも「空想的・ユートピア的」であったのである。
しかし、わたしは「ユートピア的」であることに対して否定的ではない。今日の科学師・科学哲学研究においては、エンゲルス時代はある種の「科学信仰」の時代であったと評される(そしてまた、それは今日も続いている)。そしてまた「ユートピア思想」は、人類史の歴史時代においては通有のものであることも指摘されている。「ユートピアないし空想的」とは、人が新しい時代と社会を構想する時に必然的に伴うものである。イデオロギッシュな批判は別として、「ユートピアないし空想的」を否定することはできない。