吉野作造、『明治文化全集第6巻 外交篇』、福地源一郎、何礼之、何盛三、条約改正、エスペラント
20121231
吉野作造、『明治文化全集第6巻 外交篇』、福地源一郎、何礼之、何盛三、条約改正、エスペラント
吉野作造は1920年代後半に『明治文化全集』を計画し、珍しい資料を探し求めたが、そのうち《最も私を驚喜せしめたものは「新定条約並附録草案」の発見であった》と、85年前、1928年1月5日刊行の『明治文化全集第6巻 外交篇』(日本評論社)の解題に書いている。その吉野作造を驚喜せしめた資料は、明治4年に日本を出発した岩倉使節団の一員である福地源一郎の真筆「大日本合衆国新定条約並附録草案」である。
この福地源一郎の真筆は、同じく使節団の一員である何礼之(がのりゆき/がれいし)の遺愛品を保存していた、養子の何盛三(がもりぞう)の提供によるという。何礼之はモンテスキュー『法の精神』を初めて邦訳した人として知られている。何盛三は、エスペランティストであり、また老壮会のメンバーでもあった。(吉野も1920年に改組されたエスペラント学会の評議員をしており、その縁で何盛三と知ったのか、あるいは、黎明会などだったのかは、未調査。)
明治5年の「大日本合衆国新定条約並附録草案」は、日本の悲願である条約改正の交渉の最も早期のもので、日米交渉の過程を示すものであり、吉野作造によれば《朱黒相混じ抹殺の個所も少くはない。》それを『明治文化全集』は二色刷りにし、欄外記、ワクを使って原本そのままを再現する精一杯の努力をしている。同書編輯後記でこの資料を《稀代の珍籍》と評価することが、この組版からも伝わってくる。