斎藤昌三と吉野作造

20170123

1920年代から1940年頃まで日本の出版文化の一翼を担った斎藤昌三(1897-1961)は、吉野作造尾佐竹猛木村毅宮武外骨らが組織した明治文化研究会のメンバーでもあり、また、茅ヶ崎文化人クラブでは、東大法学部で吉野作造の同僚であった牧野英一会長と一緒だった。
吉野作造は旧制仙台中学生時代から「古本癖」で知られる人間で、東大教授・朝日新聞をやめた後に明治文化研究会を組織し、明治時代の基本文献を網羅した『明治文化全集』全24巻を日本評論社から刊行するにあたって中心的役割を果たした。
1933年3月18日に吉野がなくなり、その6月には、斎藤の書物展望社から吉野のエッセイ集『閑談の閑談』が刊行されている。木村毅の編集で、装幀は斎藤昌三。特装限定260部。
前年32年に書物展望社から出た斎藤昌三の『書痴の散歩』には吉野が「斎藤昌三観」という昭和7年10月5日の日付を持つ文章を寄せている。それには《斎藤さんをエロ物専門家のように吹聴する人がある。なる程その方の造詣は頗る深いらしい。不幸にして私にはよく分からない。》とある。
そして1934年4月、中央公論社から赤松克麿の編集で『故吉野博士を語る』が出た。これには斎藤昌三が「蒟蒻と猥談」という文章を寄せている。明治文化研究会の夕食は、本郷の「呑喜」のおでんと茶飯に決まっていて、そこでは政界の話も出ればワイ談も出た、と書かれている。