吉野作造ー福澤諭吉ー桂川甫周(四代と七代)の連関

吉野作造福澤諭吉桂川甫周(四代と七代)の連関】

ヤフオクで落札した、吉野作造著『主張と閑談第二集 露国帰還の漂流民 幸太夫』(福永書店、大正13年9月20日発行、定価1円50銭)が届いた。四六判変型並製。90年前の本だ。表紙が外れかかっている際どい状態の本。ただ、本の後半はペーパーナイフが入っていない頁があり、本書がアンカットだったことが分かる。
開いて見てアッと思ったのは、冒頭の口絵が青年福沢諭吉文久年間(1860年代初め)に『唐人往来』を書いた頃の福沢の立ち姿であり、福沢が七代桂川甫周に贈ったという。七代の孫の今泉源吉秘蔵を模写したもの。ここに、甫周-諭吉‐作造というラインを引くことができる。
福沢諭吉が口絵を飾るのは、『露国帰還の漂流民 幸太夫』が、大黒屋幸太夫のロシア往還の記録を扱うだけでなく、「維新前後の国際協調主義者」の論考で福沢の『唐人往来』を取り上げているからであろう。それにしても一冊の著書の口絵に載せるとは、吉野の福沢への敬愛を表すものとみるが、いかがだろうか。
なお、吉野が幸太夫のロシア往還について記した際に依拠した主なものは、将軍家斉や老中松平定信に謁見した際を四代桂川甫周が記録した『漂民御覧之記』である。これはとは別に、他の資料を補いながらまとめたのが『北槎聞略』(現在、岩波文庫)であり、これが活字となるのは吉野没後の1937年、印刷所三秀舎の嶋連太郎によってである。(20140220/20160220補訂)

f:id:takeridon:20210220055650j:image

 

f:id:takeridon:20210220055658j:image

 

f:id:takeridon:20210220055734j:image