周恩来『19歳の東京日記』、保田龍門、吉野作造

20140219

周恩来『19歳の東京日記』、保田龍門、吉野作造

 2月14日、東海道新幹線の車内と大阪中之島のホテルで、周恩来『19歳の東京日記』(小学館文庫、1999)読了。1917年9月に来日し、19年4月に帰国。東京神田神保町近くの予備校に通い、東京師範学校、第一高等学校を受験するも失敗。失意の留学日記である。

 周恩来の留学日記は、とても丁寧に編集されていて、読むに難渋することはない。ただ、後の大宰相を予示する瞠目すべき内容が記述されているわけではない。しかし、19歳の青年が遭遇するであろう自分の進む道の模索と苦悩、家郷にいる家族親族の困窮に対する無力感と贖罪意識、大正デモクラシーロシア革命ヴェルサイユ講和を背景とする世界の動向への刮目、などなど、日記によく描かれていて、心打たれる。やはり、非凡と言うべきか。

 日記には東京美術学校を卒業したばかりの保田龍門(重右衛門)が登場し、第2刷で、保田の描いた周恩来のスケッチが掲載されているはずだが、私のが入手したのは第1刷であって、載っていない。

 保田龍門と周恩来については、武蔵野美術大学出版局から昨年末に出た『保田龍門・春彦往復書簡1958‐1965』の解説(酒井忠康)でちょっとだけ触れられているが、この『19歳の東京日記』にはコラム「画学生保田」が付されていて、とても有益である。

 なお、周恩来は、1918年6月21日に吉野作造を訪ねているが、会えなかった。以下、引用。

六月二十一日(金曜日) 気候:雨
 朝、読書、十時に個人教授のところに行く。午後、友人への返信を数通出す。
 六時、鉄卿、東美【いずれも、周恩来の知人】があいついで来て、吉野博士を訪ねるが、会えず、帰る。

 巻末にある矢吹晋の解説では「(周恩来は)デモクラシーの旗手吉野(作造)に会うべく、いくども訪問したことは日記に記されている」とあるが、一読の限りでは、この1918年6月21日の記述しか見当たらなかった。見落としたか。