伊藤永之介『平田篤胤』1942年

 秋田出身の『文芸戦線』系の作家伊藤永之介は、プロレタリア文学運動衰退後は、東北農村を舞台とした優れた作品を発表していたが、その特異な作品として1942年4月15日初版の奥付を持つ 『平田篤胤』を借成社から刊行した。戦後は社会主義作家クラブの中心になる伊藤が、篤胤没後百年の前年に同書を著したのは時局便乗の最たるものではないかと疑い、NDLデジタルコレクションで初版本を読んでみた。

 読んでみたら、時局迎合の気もないではないが、同郷の偉人について、貧しさの中で刻苦勉励した人物として、(おそらく)当時流布していたエピソードを拾い上げて若い読者向けに描いた伝記物語である。

 特徴的なのは、(伝記物だからであろうが)篤胤の著作の内容についてはほとんど触れていないことである。したがって、今日篤胤の特徴とされる幽界についての言及もない。本書は、何らの独創性もないかわりに、何らの毒もないと言って言いだろう。

 本書は、秋田の無名舎出版から2009年に復刊されている。おそらく初版そのままの内容と予測され、ということは、本書が戦時便乗のものではない証左ではないか。

 伊藤にとって篤胤が同郷の偉人であることは、その「まへがき」に示されている。

荷田春満賀茂真淵本居宣長の後を継いで国学を完成し、明治維新の思想的な原動力を為した平田篤胤が、わずか百年余りの年月をへだてただけで、自分と同じ太平山を眺め、樹木の葉ずれを聞き、葭切の声を聞きながら育つたことを思ふことは何とも言へない懐かしさである。》f:id:takeridon:20230505214546j:image