山田孝雄『平田篤胤』(畝傍書房1942年8月8日初版)

 山田孝雄平田篤胤』(畝傍書房1942年8月8日初版; 1万部)を読んだ。山田孝雄(よしお)については、文法学・国学系の研究者として、また谷崎潤一郎訳『源氏物語』が戦時を慮って中央公論社校閲役を依頼した人物として、また『国体の本義』を書き、古道を古代の天皇親政の道とするイデオロギーの持ち主として戦後に公職追放にあった人としてくらいしか知らなかったが、かねて気になる存在ではあった。

 たまたま1942年刊行の伊藤永之介『平田篤胤』をNDLデジタルコレクションで検索した際に、同年刊行の山田孝雄平田篤胤』があることを知り、薄いページであることもあり、ちょっと見したら、これ、なかなかのものであり、一気に読んだ。

 これは、1938年に日本大学神道奨励会で行った講演会の記録であり、篤胤と神道を扱った偏った内容であると序で断っていて、その点を念頭に置いて読むべきものである。

 今日の篤胤研究の水準を知らないままに言うのであるが、山田の本書は、簡潔な篤胤伝として十分に読み応えのあるもののように思えた。これは、国学の系譜ーー契沖〜荷田春満賀茂真淵本居宣長平田篤胤ーーを継ぐ者として自分を位置付けようとする自負がもたらす緊張感(と謙譲)のもとに本書が著されたことによるように思われる。

 最も注目されるのは、宣長の古道観の大きな特徴であるマガツカミの解釈について篤胤が批判して新しい解釈を示したことに山田孝雄が全面的に共感していることである。宣長は善悪二神論(善悪二元論) であるのに対して、篤胤は要は善一神論であると言うのだ。そう言う山田孝雄は、篤胤は神の実在を信じていたのに対して、果たして宣長は神の実在を信じていたのか、とまで問う。

 この山田の問いの妥当性については、わたしは分からないが、宣長古事記伝を読んでいて、時に、宣長は(自覚的に)仮構の論を展開しているのではないか、と思うことがあり、山田の問いを一概に否定できないものと思わざるを得なかった。

 山田には『平田篤胤』という同じ題の、1940年12月に宝文館からの刊行した著作がある。これを読んで上で考えてみたい。

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