戦後初期に原爆の国際法違反を訴えた弁護士 岡本尚一

広島市長を務めた平岡敬がジャーナリスト時代に著した『無援の海峡 ヒロシマの声、被爆朝鮮人の声』(影書房、1983年)を読んでいて、原爆投下を国際法違反とみなし、米国や投下の責任者を裁くことはできないか、と世に訴えた弁護士がいることを知った。岡本尚一(1891-1958)。東京国際軍事裁判で武藤章の主任弁護人を務めるなど骨のある人物だったようである。サンフランシスコ講和条約発効後のことであるが、米国やトルーマンを訴えることは、内外に反対論も多く、なんとか米国の協力者を得ることができたが、裁判費用を調達することができず、米国を訴えるには至らなかった。
だが、それとは別に、岡本は、55年4月、下田隆一ら被爆者5人を原告とした日本政府への賠償請求訴訟を起こした。これに対する63年1月の判決は「原子爆弾の投下は無防備都市に対する無差別爆撃で国際法上違法である。しかし、損害賠償請求権は国際法上も国内法上も個人にない」。原爆投下の国際法違反が認められたが、賠償請求権は退けられた。ただし判決は被爆者の救済にも触れ「原爆犠牲者には深く同情する。できれば戦争による災害を少なくし十分な救援策を講じたい。しかし、これは当裁判所の職責ではない」とし、その後の被爆者救済の道を開いたという。
(写真は広島原爆資料館 2020711)

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