鈴木義男と憲法誕生と吉野作造と

5/2日、ETV特集「義男(ギダン)さんと憲法誕生」は、見応えのあるものだった。この番組は、3年前に放送されたNHKスペシャル「憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた」に繋がる番組で、福島県出身の鈴木義男(よしお)(1894-1963) に焦点を当てている。
鈴木は、病床にいた最晩年の吉野作造(1933年没) と葉書のやり取りをした人であり、東北帝国大学教授の時、大学での軍事教練に反対して辞職させられ、その後、弁護士となって、主に治安維持法違反者や女性、朝鮮人の弁護にあたった。今回の番組は、そのギダンさんの歩みと、戦後に社会党衆議院議員として新憲法の審議ーー平和主義、生存権、国家賠償請求権、刑事補償請求権などに大きな関わりを持ったことを描いたものであった。
番組に出ていた油井大三郎(アメリカ研究者)さんは、鈴木義男の孫。油井さんの祖母(義男の妻)は、わたしの同郷(宮城県大崎市池月) の出身。油井さんも祖母の実家を訪ねたことがあるとかつて聞いたことがある。
なお、鈴木義男については『大正デモクラシー東北学院杉山元治郎と鈴木義男』(東北学院、2006年)が、また、吉野作造との関わりについては、仙台の永澤汪恭さんが発行している『吉野作造通信」第19号(2017/12/31)に掲載されている永澤「鈴木義男と平和憲法」が必読。
(追記:永澤汪恭さんから電話をいただき、番組で取り上げた生存権については、鈴木義男の姻戚にあたる清水まり子さん(長崎純心福祉文化研究会会員)の研究があることを教えていただいた。番組でも言及されていたが、新憲法第25条第一項「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」は、GHQ草案にも政府改正草案にもないもので、帝国憲法改正案委員小委員会(芦田小委員会)で鈴木義男らの修正提案によって成立したものだったことを清水さんは明らかにしたのだという。)