中村睦男先生逝去:『アイヌ民族法制と憲法』を読む

中村睦男先生が4月17日に逝去されていた。享年81.憲法学者で北大総長を、他に北大出版会理事長、北大生協理事長、また、白老町で開業を控えていたアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」を運営するアイヌ民族文化財団(札幌)の理事長も務められていた。

 

以下は、中村著『アイヌ民族法制と憲法』の読後感。2018年2月に書いたものを掲出する。

新刊の中村睦男『アイヌ民族法制と憲法』(北海道大学出版会)を読了。これがなかなか面白い。
今年は北海道命名150年、明治維新150年に当たる。北海道の、そして近現代日本の歴史を考えるにあたってアイヌ民族問題を外すことはできない。
執筆目的は次のように書かれている。 《北海道旧土人保護法およびアイヌ文化振興法の歴史的経緯および法的問題点を、できるだけ多角的かつ客観的に記述し、国民的な議論に際しての共通の基盤を作ることに心がけた。》 ここで言われている北海道旧土人保護法とは、アイヌ民族に対する明治政府の同化政策によって困窮に陥ったアイヌ民族を救済するために1899年に制定されたもの、そしてアイヌ文化振興法(正式には「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統などに関する知識の普及及び啓発に関する法律」)は、「アイヌ新法」の制定に向けての北海道ウタリ協会と北海道の要望を受けて1997年に制定されたものである。前者はほぼ1世紀を経て後者の制定とともに廃止されたが、「土人」が法律用語としてこの間使われていたことは注目されるべきである。 1世紀を隔てた二つの法律は、ともに「アイヌ民族先住民族として扱うものではないが、前者は、アイヌが和人と異なった人種であること、後者は、明確に和人と異なった民族であるという立場に立って制定されている。」 そしてアイヌ文化振興法制定後、国際人権条約や2007年の「先住民族の権利に関わる国連宣言」また2008年の「アイヌ民族先住民族とすることを求める国会決議」を受けて、今日では先住民族として認められるようになった。そして今、新たなアイヌ総合政策が進められており、その中軸が、2020年開設予定の白老町の「民族共生象徴空間」(公園および博物館などの関連施設)である。 著者は憲法学者北海道大学総長を務めた方。北海道知事の諮問機関である「ウタリ問題懇話会」およびアイヌ文化振興法の基となった「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会」の委員であり、また現在アイヌ文化振興法の定めるアイヌ文化振興事業を運営する主体としての「アイヌ文化振興・研究推進機構」の理事長を務め、新たなアイヌ総合政策の展開にも関わっている。まさに本テーマに関する打って付けの著者である。
本書は憲法学者が法制定の経緯および法的問題を扱ったものであり、特にアイヌ民族の先住権問題について、それと現在の日本国憲法および国際人権条約との関わりをも取り上げ、日本における人権問題の先端に踏み込んでいることも注目されるべきである。また、アイヌ民族の全道的組織である北海道アイヌ協会(1930年設立。1961年、北海道ウタリ協会に、2008年に北海道アイヌ協会に再び改称)の動向も一貫しておさえていることも特徴である。
このように本書は、歴史を背負った当該地域での問題のイッシュー化、憲法問題を意識しつつイッシューの解決策を図る有識者懇談会を含めた内閣の法案作成、そして国会審議を経ての法制化、更に成立した法律に対する関係者や報道機関の評価、そして実施後の政策評価、それを踏まえた新たな問題のイッシュー化、という一連の立法過程と政策過程とその評価過程を明らかにした労作である。
本書から、アイヌ民族の問題だけではなく、近代日本さらには日本とは何か、国家とは何か、人間とは何か、を考えることを求められていると強く感じた。関心を寄せる多くの方に読んでもらいたい本である。
なお、著者の記述は事実を積み上げていく抑制された坦々としたものであるが、その思いは注でもって表現されることが多い。これも研究者として奥床しい所作であると感心した。