平岡敬『希望のヒロシマ』(岩波新書、1996) を読む:未成の思想

平岡敬『希望のヒロシマ』(岩波新書、1996) を読了。1995年はヒロシマへの原爆投下から50年目であり、本書は、ジャーナリストを経て当時広島市長に就いていた著者がヒロシマについて語りヒロシマから語ったことを中心に編まれている。四半世紀ほど前の表現であるが、古びていない。また行政の長にありがちな紋切り型の表現ではなく、自らの思想と行政の長にあることによる要請とのギリギリの接線で紡がれた思想の表現である。

自らが書籍編集者、新聞記者、放送会社経営者を務めた経験を持って市長職に就いた著者が語るジャーナリズムのあり方、ジャーナリストのあり方についても、掬すべきものがある。というより、四半世紀後の今日、より傾聴すべきものとして読まれなければならないほど、ジャーナリズムは危機的になっていることを感じる。

 「戦争責任とヒロシマ」の章で著者はこう述べる。

《世界の悲惨な現実は、人間か人間を殺す悲惨さにおいて、広島を乗りこえている部分もあるのだ。原爆投下のボタンを押す遠隔殺人もさることながら、自らの手で人を殺し、目をそむけずそれを見ることができる人間とは何という存在かと思うと、被害者体験だけから生まれる平和思想は、思想といえるものではなくて、単なる平和への願いにすぎないのだ、と考えこんでしまうのである。/世界各地に起こっている悲惨な現実に、有効に対応できない〈ヒロシマの思想〉とはいったい何なのか。広島の平和思想が普遍性を獲得し、力を持つためには、もっと鍛えられなければならないのではないか。/広島の平和思想が現実主義に太刀打ちできないのは、これまであまりにも批判されることがなかったからだ。思想も運動も批判されることによって豊かになり、前進する。平和はなにびとも否定できない人類の理想である。それを人類最初の原爆を受けた広島が言うとき、広島の平和は "黄門様の葵の印龍“となり、日本国内ではマスコミも含めて誰もがおそれいってしまうのだ。これでは平和思想の内容が深まるわけがない。》(58-59ページ)

 また「ジャーナリズムを問う」の章では次のように問う。

《現在の新聞、週刊誌、放送などマスメディアのかかえる問題点は山ほどある。なかでも、一方的なイメージづくりによるきめつけ報道 の横行、発言の"つまみ食い“、スキャンダル

の商品化、テレビニュースのショー化、”善悪二元論”的な切り方で複雑な要素がからみあっ

現代社会を裁断してしまうことなどが、日本のジャーナリズ ムの底を浅くしている。/

また真の批判精神は、政治家や官僚、企業経営者を批判するだけではなく、社会的弱者とい

われる存在をも批判する視座をあわせもたなければならないと思う。つまり、さまざまな社会的事象のなかで、「一方が絶対的に正しい」ということはほとんどなく、「別にこういう考え方もある」という視点を提示することを、今のメディアは無視してしまっている。》(154ページ)

 著者のものの捉え方は単眼ではない。著者は早稲田大学文学部の卒業論文で、当時(1950年前後)ではマイナーだったカフカについて書いたという。編集者として付き合いのあった加藤周一からは「ドイツ文学でカフカを論ずることは、日本文学で朝鮮人の日本語作品を論ずるようなものだ」と批判されたという。しかし、著者の視点は、カフカを視野に入れたドイツ文学論、金石範を視野に入れた日本文学論の位相にあるのではないか。

 著者が問う〈ヒロシマの思想〉とは何か。それは歴史と現在との交点において、つまり日本の近代史におけるアジア侵略と原爆という戦争犯罪との双方を現代との関連で問うことによって鍛えられた思想である。それは、今日においても未成の思想である。

を読了。1995年はヒロシマへの原爆投下から50年目であり、本書は、ジャーナリストを経て当時広島市長に就いていた著者がヒロシマについて語りヒロシマから語ったことを中心に編まれている。四半世紀ほど前の表現であるが、古びていない。また行政の長にありがちな紋切り型の表現ではなく、自らの思想と行政の長にあることによる要請とのギリギリの接線で紡がれた思想の表現である。

自らが書籍編集者、新聞記者、放送会社経営者を務めた経験を持って市長職に就いた著者が語るジャーナリズムのあり方、ジャーナリストのあり方についても、掬すべきものがある。というより、四半世紀後の今日、より傾聴すべきものとして読まれなければならないほど、ジャーナリズムは危機的になっていることを感じる。

 「戦争責任とヒロシマ」の章で著者はこう述べる。

《世界の悲惨な現実は、人間か人間を殺す悲惨さにおいて、広島を乗りこえている部分もあるのだ。原爆投下のボタンを押す遠隔殺人もさることながら、自らの手で人を殺し、目をそむけずそれを見ることができる人間とは何という存在かと思うと、被害者体験だけから生まれる平和思想は、思想といえるものではなくて、単なる平和への願いにすぎないのだ、と考えこんでしまうのである。/世界各地に起こっている悲惨な現実に、有効に対応できない〈ヒロシマの思想〉とはいったい何なのか。広島の平和思想が普遍性を獲得し、力を持つためには、もっと鍛えられなければならないのではないか。/広島の平和思想が現実主義に太刀打ちできないのは、これまであまりにも批判されることがなかったからだ。思想も運動も批判されることによって豊かになり、前進する。平和はなにびとも否定できない人類の理想である。それを人類最初の原爆を受けた広島が言うとき、広島の平和は "黄門様の葵の印龍“となり、日本国内ではマスコミも含めて誰もがおそれいってしまうのだ。これでは平和思想の内容が深まるわけがない。》(58-59ページ)

 また「ジャーナリズムを問う」の章では次のように問う。

《現在の新聞、週刊誌、放送などマスメディアのかかえる問題点は山ほどある。なかでも、一方的なイメージづくりによるきめつけ報道 の横行、発言の"つまみ食い“、スキャンダル

の商品化、テレビニュースのショー化、”善悪二元論”的な切り方で複雑な要素がからみあっ

現代社会を裁断してしまうことなどが、日本のジャーナリズ ムの底を浅くしている。/

また真の批判精神は、政治家や官僚、企業経営者を批判するだけではなく、社会的弱者とい

われる存在をも批判する視座をあわせもたなければならないと思う。つまり、さまざまな社会的事象のなかで、「一方が絶対的に正しい」ということはほとんどなく、「別にこういう考え方もある」という視点を提示することを、今のメディアは無視してしまっている。》(154ページ)

 著者のものの捉え方は単眼ではない。著者は早稲田大学文学部の卒業論文で、当時(1950年前後)ではマイナーだったカフカについて書いたという。編集者として付き合いのあった加藤周一からは「ドイツ文学でカフカを論ずることは、日本文学で金石範を論ずるようなものだ」と批判されたという。しかし、著者の視点は、カフカを視野に入れたドイツ文学論、金石範を視野に入れた日本文学論の位相にあるのではないか。

 著者が問う〈ヒロシマの思想〉とは何か。それは歴史と現在との交点において、つまり日本の近代史におけるアジア侵略と原爆という戦争犯罪との双方を現代との関連で問うことによって鍛えられた思想である。それは、今日においても未成の思想である。