石原吉郎の死

20140214

私はこの1月に62歳を迎えた。かつては、とても想像し得ない年齢である。そして、私がその「沈黙の表現」により、生を生き延びることができた詩人・石原吉郎が1977年に62歳で(あたかも意図的な自死のように)亡くなったことを想うと、今の生きている私が非現実であるように思われる。旧稿を載せる。

 沈黙のことば(2005年7月)
 某月某日、雨の煙る伊豆は土肥を訪れた。近年の聖書研究の成果を一書にまとめようとする編集合宿が目的である。キリスト者碩学に直接に学ぶ機会を得たことは貴重であった。
 キリスト教と土肥ということで念頭に浮かぶのは、クリスチャンで詩人の石原吉郎である。彼は、1915年に土肥で生まれ、電気技術者でダム工事に従事していた父に従って、各地を転々としたが、23歳のときに当地で徴兵検査を受け、その後、出兵、シベリア抑留、スターリン死亡の恩赦により、53年末に帰国。翌年初めに休養のために、この郷里を訪れたが、親類縁者との不幸な確執があり、のち二度とこの地に足を運ぶことはなかったという。77年没、享年62歳。
 この六月に刊行された『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫)を拾い読みする。「詩と何か」に答えて、《詩は、「書くまい」とする衝動なのだ》と言う。ノートには、《沈黙するためには、ことばが必要である。》《あるいみでは、読者を拒むということが、詩人の基本的な姿勢である。》
 出版に携わってきて四半世紀を優に超えるが、詩人ではない出版人としても「沈黙に拮抗しうることばを表現してきたのか」「基本として読者を拒む表現をなしてきたのか」という問いを離れることはできなかった。大学出版部の刊行する書籍のことばの多くは、そのまま詩的言語と同一のレベルでみるべきではないが、しかし、沈黙を抱えない学術表現はことばとしての豊穣性をもち得ないのではないだろうか。

《しずかな肩には/声だけがならぶのでない/声よりも近く/敵がならぶのだ》(石原吉郎「位置」より)