石原吉郎の絶筆と伝道の書:『群像』9月号特集「戦後文学を読む」に触れて

20110817
石原吉郎の絶筆と伝道の書:『群像』9月号特集「戦後文学を読む」に触れて

「戦後文学」という言葉がある。太平洋戦争の後のある一定の時期、戦後性を体現した傾向の強い文学を言うが、荒正人埴谷雄高らの『近代文学』が推力となり、それを取り巻く作家たちを指すことが多いが、どこまでを「戦後文学」と称するかは多様である。
『群像』9月号が「戦後文学を読む6 石原吉郎」を特集したのを見たとき、果たして石原吉郎の作品を「戦後文学」と呼ぶのかと自問した。文藝用語としての「戦後文学」とは石原は時代的には異なるだろうが、表現の核にあるものは、きわだって特徴的な「戦後性」にあることは、疑いない。その意味で、『群像』がこれまで取り上げた、野間宏武田泰淳椎名麟三梅崎春生、大岡昌平につづく第6回として石原吉郎を特集したことを評価したい。
 『群像』9月号の特集は、石原の作品の再録と、奥泉光山城むつみ川上未映子の三人による「合評」とからなる。1976年生まれで自称文筆歌手川上三映子の新鮮な感覚がまぶしい。
 それとは別に初めて知ったことがある。1960年生まれの山城むつみによれば、石原吉郎のほとんど絶筆にあたる「絶望への自由とその断念── 『伝道の書』の詩的詠嘆」は、旧約聖書の「伝道の書」の冒頭の部分を引用している、という。

《伝道者言く、空の空、空の空なるかな、都て空なり。日の下に人の労して為すところの諸々の動作は、その身に何の益かあらん。世は去り世は来る、地は永久に長存なり。日は出で日は入り、またその出でし処に喘ぎゆくなり、風は南に行きまた回りて北にむかひ、めぐりにめぐりて行き、風またそのめぐる処にかへる。河はみな海に流れ入る、海は盈つること無し、河はその出できたれる処にまた還りゆくなり。万の物は労苦す、人これを言ひつくすことあたわず、目は見るに飽くことなく耳は聞くに充つること無し。先にありし者はまた後にあるべし、先に成りし事はまた後に成るべし、日の下には新しき者あらざるなり。見よこれは新しき者なりと指して言ふべき物あるや、其は我等の前にありし世々に既に久しくありたる者なり。以前のものの事はこれをおぼゆることなし、以後のものの事もまた後に出づる者これをおぼゆることあらじ。》

山城は、「ここには何も救いがないことが書いてあるのですが、とても美しい言葉です。」と東日本大震災後に読んだ感銘をのべている。
 《空の空、空の空なるかな、都て空なり。日の下に人の労して為すところの諸々の動作は、その身に何の益かあらん。世は去り世は来る、地は永久に長存なり。》――以前に読んだ時にも強く打たれるものがあったが、大震災後の今の時点で読み直してみて、立ち尽くす以外にない美しさを感じる。石原吉郎は、末期の目でこの言葉を引用していたのだ。
 合評では言及されていないが、石原吉郎はこの絶筆で次のように書いている。
「われわれは軽々に救済を呼ぶべきではない。救済の以前に、すでに亡んだ者として、滅亡の確たる承認こそが、逆説としての救済をもたらすという事実をこそ、人は苦痛とともに思い起すべきではないのか。人は亡んでおり、また亡びつつあるからである。『私は信仰により〈救われた〉』ということばを、仮にも人は、〈公然〉とロにすべきではない。」