安東と清州の会議(2017年8月)に参加して

【旧稿掲載】

安東と清州の会議に参加して
竹中英俊 20171008
 
この8月、東洋Forum 主幹の金泰昌先生の招きにより、二つの国際会議に参加した。一つは、10日から12日まで、安東の陶山書院sunbi文化修練院で開催された「2017年 嶺南退渓学研究院・陶山書院sunbi文化修練院 共同主催 第2回国際学術大会 畏天活理の人文学」(後援:東洋Forum(劉成鍾 運営委員長、金泰昌 主幹))〔以下、「安東会議」と略称〕であり、もう一つは13日から15日まで、清州大学校芸術大学で開催された「2017韓中日 東洋フォーラム 霊魂の脱植民地化・脱領土化と未来共創――趙明煕・夏目漱石魯迅の比較照明」(東洋日報、東洋Forum 共催) 〔以下、「清州会議」と略称〕である。
本稿では、二つの会議に参加した、その感想を記録するとともに、会議終了後に友人とともに訪問した清州市古印刷博物館についても書くことにしたい。この博物館は、40年以上にわたって日本の大学出版会で出版編集に関わってきた私が、東アジアの、そして日本の印刷出版文化を考える際の基点をなすものだからである。
 
1.    安東会議
安東会議は初日10日の夕方から参加した。夕食の後、この文化修練院の下にある李退渓宗家を訪問する。私がここに訪れるのは3度目である。お元気な第15代・16代当主の話しを聞くことができたのは嬉しいことであった。
翌日11日は早朝から、有志参加による「活人心方体験」として「陶山書院・退渓瞑想路散歩」のプログラムに参加した。ここの朝は美しい。雨上がりに、対向する山に朝霧が立つのが、いかにもこの地に似合う。文化修練院の裏山に上り、それから降りて30分歩き陶山書院へ。書院から洛東江をはさみ試士壇が見える。
9時から会議が始まり、その冒頭で「特別講演」として「阿部吉雄『日本朱子学と朝鮮』の出版経緯」と題して発表した。司会と通訳を北九州市立大学の金鳳珍教授が務められた。同教授は、私の言葉の足りない分を補って伝えてくれたため、内容は良く理解されたのではないだろか。コメンテーターは、未来共創新聞編輯長の山本恭二氏。なお、その場で紹介した稀覯本『阿部吉雄遺文』には多くの方が関心を持ったようだ。
 私のあとは、韓国の5人による李退渓思想に関する専門的な内容の発表がなされ、その内容はレベルの高いものであった。
12日三日目。早朝より数台の車で下渓マウルの高台にある李退渓の墓参。ここに墓参するのは三度目。9時から一時間、李退渓の生涯と思想について修練院理事長の金炳日氏の講義を受け、それから李退渓の陶山書院に向かった。
陶山書院では、講堂として使用された典教堂で儒教式の礼装をして、私を含めた3人が参拝者を代表するかたちで李退渓の位牌が祀られていると尚徳祀に導かれ、拝礼をした。
午後、数台の車で安東市内から(作家の立原正秋ゆかりの)鳳停寺の方面に行く途中にある鶴峯宗宅を訪問。金誠一(鶴峯、文忠)は李退渓の高弟であり、朝鮮朝の官僚である。1590年、副通信使として豊臣秀吉に謁見し、王への帰国報告で秀吉に侵略の意図なしと言い、のち、苦境に陥るが柳成龍に救われ、文禄の役で活躍した人物である。『海槎録』の著者。15代宗孫の金鍾吉氏にご案内いただき、手作りの菓子を美味しくいただいた。(なお、ここには2011年10月に訪れている。)
 
2. 清州会議
 鶴峯宗宅を後して、嶺南大学校のチェジェモク教授の運転する車で、清州市へ移動した。車中、崔教授と野間秀樹『ハングルの誕生』についてなど話をする。会議の会場であり宿泊施設のインターナショナルロッジのある清州大学校芸術大学へ着く。
バスで40分ほどの距離のある鎮川市で夕食会。東洋日報の主宰。同地は詩人、小説家の趙明煕の生地であり、夕食後、その文学館を見学する。代表作『洛東江』(1927) は岩波文庫『朝鮮短編小説選』に収録されている。これはかつて私も読み、読み応えのある優れた作品である。
13日9時から「2017韓中日 東洋フォーラム 霊魂の脱植民地化・脱領土化と未来共創――趙明煕・夏目漱石魯迅の比較照明」が始まる。主要な参加者はペーパー提出していて、当地の新聞『東洋日報』に掲載されている。周到な準備をもってなされている。
三人の作家をモチーフとした創作画が会場に展示され(その画家も参加)、創作詩が朗読され(その詩人も参加)、関連する音楽も流されるという、新スタイルの工夫された会議であることに感心した。
夕食会は、道の教育監主宰。私は、その教育監と腕を絡めての酒を交わす役割。飲み干さなければならない。料理と酒を堪能した。
14日9時から会議二日目が始まった。午前は、深尾葉子(阪大)、柴田勝二(東京外大)、片岡龍(東北大学)の各氏の発表と対話。
午後は、大学院生を中心とする若手による二日間参加の感想と対話。若手の発言は、テーマを敷延してのもの、自己自身の考え方、また率直な疑問も示され、このようにして問題意識が世代継承されていくのだと思わせ、新鮮で、感動的なものだった。
今回のフォーラムついて本日の『東洋日報』が一面で報道。昨日の夕食会は道の教育監の主宰であり、今日のは清州市長の主宰である。現存する世界最古の活字印刷本『直指』を生み世界文化都市を宣言したこの地域をあげての行事であることが実感された。
8月15日。この日を韓国で迎えるのも意味ある。9時から会議の三日目が始まった。この中で、李東建氏(嶺南退渓学研究院理事長)が次のように述べたことが特に印象に残った。
《今日は8月15日で韓国の独立記念日である。72年目。果たして韓国の脱植民地化はどこまで進んだのか。脱植民地化には先頭に立つ人が必要であり、ここに集った若い参加者がその任を是非担ってほしい。また、未来共創には脱植民地化だけではなく普段のイノベーションが欠かせない。そのイノベーションのきっかけにこの会議がなることを望む。》
夕食会は、東洋Forum運営委員長の劉成鍾氏の主宰。一流の店で、従業員の立ち居振る舞いもきびきびしていて、とてもいい感じであった。
これで、清州での三日間の公式行事を終了。
 
3.  清州市古印刷博物館
8月16日。現存する世界最古の金属活字印刷本『直指』を印刷した興徳寺の跡に建てられた清州古印刷博物館を見学した。同行は、都留文科大学の辺英浩氏、未来共創新聞の山本恭司氏、円光大学の柳生真氏、そして日本への大学院留学生3人。その『直指』に関連する展示、活字印刷のプロセス、また世界の印刷史の展示など、とても興味深いものであった。
  私が驚いたのは、展示されている世界印刷文化史年表の現代の項に、高橋和巳『わが解体』(河出書房新社 1971)の書影があったことである。なぜ? どうして?  ハングルを解読すると『わが解体』の書影の下には「현대 가나 문자 (現代仮名文字)」とあり、右には「가나로 적힌 책표지 (한자혼용)(仮名で書かれた本の表紙(漢字混用)」 とある。そして、それらの下には中国の「현대 한자 (現代漢字)」とある。つまり、この博物館の世界印刷文化年表は、現代の仮名文字の本の代表例として、高橋和巳『わが解体』を掲げている。装幀は、杉浦康平である。この本は、1971年3月の刊行。その5月に高橋和巳逝去。青山での葬儀には、19歳の私も参列した。私にとって特に思い出深い本である。この展示は高橋和巳の作品への注目とともに、杉浦康平の装幀への評価に基づくものかもしれないとも思った。東アジアでは、杉浦康平に対する評価が極めて高いらしい。
  なお、同行した延辺朝鮮族出身の京都大学院留学生の李静さんは「高橋和巳というのは、李商隠について本を書いた人ですか」と声をかけてきた。その通り! 小説家として、そして中国文学研究者としての高橋和巳は今も生きている。
この博物館を見学中、同行した柳生真氏に、清州市に住む金泰昌先生から昼食招待の電話が入った。タクシーで指定された「清州本家」本店へ。いただいたビビン冷麺は、細麺で本場の辛さであり、胃に滲み透るものだった。そして昼食後、金先生宅に招かれ、奥様とお嬢様のおもてなしで、トク(餅)とコーヒーをいただいた。
怒涛のような6日間連続の二つの会議の後の「清州の休日」だった。
翌日17日、山本恭司氏とともに釜山経由で帰国。金海国際空港から関西国際空港まで搭乗時間80分。日本と韓国の近さと遠さを思った。
 
おわりに
安東の陶山書院は4回目、また清州は3回目だった。いずれも金泰昌先生と一緒であるが、安東も清州も、私にとって故地を訪ねる懐かしさの感情を伴う場所であることを、今回も実感した
二つの会議への参加にあたり、東洋Forum運営委員長 劉成鍾先生はじめ多くの方のお世話になった。心より感謝する。また、このような機会を得たいと願っている。
(たけなか・ひでとし  北海道大学出版会相談役、元 東京大学出版会常務理事・編集局長)