石井和夫:陸軍幼年学校と非戦の歌

20140612

石井和夫:陸軍幼年学校と非戦の歌

石井和夫氏から5月2日付で送られた書信について、ずーと考えている。氏によれば、この4月に、卒業70周年の同期生会があったという。何の同期生会かというと、今はとうになき「仙台陸軍幼年学校」。
石井は1941年(昭和16)年、14歳で入学。同期150人、三つに訓育班に分かれ、それぞれの生徒監が担当、陸軍士官として恥ずかしくない訓育を授けられた。先任生監の丸山武之少佐は、ガダルカナル島の敗北以降、玉砕が言われる中、生死の「岐路に立たば、母を憶え、一兵といえども救えよ」と教えたという。
敗戦以降、丸山生徒監は、荒野の開墾に身を削りながら、軍関係の会合には一切出なかった。石井は、丸山生徒監は、「断つ」ことで自らの進退とされた、という。
私の世代からすると、陸軍幼年学校などは軍国主義の最たるものであり、一切が否定の対象である。しかし、十代にそこで生を送ったものは、陸軍幼年学校の時空に、苦渋の思いを伴いながら、自らの根拠を見出すことも、理解できる。
付け加えておこう、石井氏の母は、1978年9月18日の朝日歌壇掲載「徴兵は命かけても阻むべし母、祖母、おみな 牢に満つるとも」の作者である。

以下は、氏が新渡戸・南原賞を受賞した際の拙文。

新渡戸・南原賞受賞(UP 0908) 
 小会名誉顧問・もと専務理事の石井和夫が第6回新渡戸・南原賞を受賞した(新渡戸・南原基金主宰)。受賞理由は《永年にわたり東京大学出版会に勤務され、最後は専務理事として、南原繁の多くの著書の出版を手がけられた。特に『聞き書南原繁回顧録』の編集、出版に当たっては、大きな力を尽くされ、南原繁の思想を後世に伝えるうえで貢献された。》
 石井は1927年生まれ、東京大学出版会創設に当たって、首唱者である南原繁東大総長から編集主任の辞令を受けた。1951年2月28日、安田講堂北側会議室という。爾来、退任後の顧問・名誉顧問としての今日に至るまで小会の活動を支えてきた。この間、南原の著作(夫人を追悼した『瑠璃柳』などの私家版を含め)を多数手がけ、南原没後も『南原繁書簡集』(岩波書店)の資料収集に努めるとともに、生前の聞き取りをもとに、1989年生誕百年の年、丸山真男福田歓一編『聞き書南原繁回顧録』の刊行を実現した。
 また、大学出版部協会にあっては幹事長・顧問を務め、日本生命財団刊行助成制度の運用・充実に、さらにアメリカ大学出版部協会の日本研究図書出版促進計画の推進に大きな役割を果たした。
 氏の軌跡は、編集を手がけた数多の書籍にあるとともに、唯一の単独著『大学出版の日々』(小会、1988年初版;山愛書院、2006年新装版)に結晶している。本著は、海外との出版交流にも尽くした氏を象徴するごとく、1990年に北京大学出版社から中文版が刊行されている。
 選考会のあった日の翌6月13日は令夫人旦子様の祥月命日。報を聞かれた氏はご霊前に何を祈られたのだろうか。
(なお氏のご母堂は、1978年9月18日の朝日歌壇掲載「徴兵は命かけても阻むべし母、祖母、おみな 牢に満つるとも」の作者。)          (T)