石井立:昭和文壇支えた編集者魂

20140427

石井立:昭和文壇支えた編集者魂

 4月初めに石井和夫氏(東大出版会名誉顧問)にお会いした際、「3月に兄・ 立の50回忌の法要をしました。弔い上げです。兄の50回忌を行うまで生きていると思いませんでした。」とお聞きした。和夫氏は1927年生れ。そのお兄さんである立(たつ)とは、筑摩書房の編集者であり、1964年、40歳台初めで早世された方である。井伏鱒二太宰治坂口安吾、佐田稲子、竹内好福永武彦辻井喬などが関わってくる。

 以下、石井立について、2011年12月28日に書いた拙文がある。再録する。

***

 今日12月28日日経新聞文化欄に「昭和文壇支えた編集者魂」という題で北海学園大学の石井耕教授が寄稿している。父は筑摩書房の編集者であった石井立(1923- 64)。立の遺した資料を整理していて気付いた興味深いことを綴っている。ちなみに、立の弟が東京大学出版会名誉顧問の石井和夫である。

 石井耕によると、石井立が担当した主な作家は、太宰治井伏鱒二小山清壺井栄、佐田稲子、坂口安吾福永武彦など。井伏鱒二選集の収録作品の草案は太宰が作成。その草案の後半が立の資料から見つかり、太宰の遺体引き揚げに加わった立が、太宰の「遺稿」として大事に保存していた、と耕は書く。

 1953年に坂口安吾筑摩書房から小説『信長』を出した際、税務署が筑摩書房に乗り込み印税を差押え。担当だった石井立は安吾に激怒され、その詫び状に立は次のように書いていた。編集としてのよろこびは《できるかぎりよき本につくりあげることにある》――昔も今も変わらない。

 石井耕が日経文化欄に書いている、筑摩書房の編集者だった石井立について、私は創樹社から1974年に刊行された竹内好の『転形期』に収められた竹内の日記によって、その名前と死を知った。命を削る編集者たることへの哀悼の意を込めた簡潔な文章だったと記憶する。

 石井立は、京都大学の哲学の出身。訳書にショーペンハウエルの著作がある。代表的なものは『自殺について』『幸福について』『死について』など。『幸福については』は、立の父・石井正との共訳。また、石井立の京大での後輩で、高校の教師をしていた山田宗睦氏が東京大学出版会に入るきっかけは、立による和夫への紹介と聞いている。

 石井立と東京大学出版会との関係について記すと、1951年に創立したばかりの東大出版会に持ち込まれた、堤清二辻井喬)氏が中心となって執筆編集した『わが友に告げん』の企画が東大出版会の理事会で不採択となり、翌年に筑摩書房で刊行されたのは、東大出版会の編集主任だった石井和夫が筑摩にいた兄の立に頼み込んだことによる、と聞いている。