桜美林・清水安三/吉野作造/中江丑吉:山崎朋子『朝陽門外の虹:崇貞女学校の人びと』を読んで

20130923

桜美林清水安三吉野作造中江丑吉山崎朋子『朝陽門外の虹:崇貞女学校の人びと』を読んで

山崎朋子『朝陽門外の虹:崇貞女学校の人びと』(岩波書店、2011)読了。本書は、教育者・牧師である清水安三(1891−1988)とその二人の妻が、貧困に喘ぐ女子を対象とする学校(1920-1945)とそこに関わった人びとを描いた作品。1920年代から満洲事変・日中戦争下という厳しい時代において、驚異的な熱意と僥倖によって続けられた教育事業とセツルメント事業を担った清水安三らの努力には感嘆せざるを得ない。こういう人がいたのだ、ということを知るにはいい本である。
本書を読もうと思ったのは、①『世界』連載時に、たまたま著者の取材現場に立ち会うことがあったこと、②1920年代の清水安三の中国関連著作に吉野作造が序文を寄せており、吉野の中国理解についての示唆が本書にあるのではないかと予測したこと(残念ながら吉野作造は出てこなかった)、③崇貞女学校(現在は陳経綸中学となっている)の所在地が、2010年に泊った北京朝陽門外大街の崑泰嘉華酒店の近くにあり、本書にも登場する東岳廟(道教寺院)などへの散歩を通して、土地勘が私にあったこと、③清水夫妻が1946年に帰国して作った桜美林学園の創立経緯について関心があったこと、などによる。
本書は、足で歩いた調査に基づく力作であるが、フィクションとノンフィクションの境が曖昧である。時に、登場人物の会話など、著者によるフィクションではないかと思われる個所がある。また、紋切り型の文章表現が多々あり、これらはいただけない。
本書で初めて知ったこと(224頁)。1937年7月7日の盧溝橋事件の直後、北京の日本人居留民会は、「万が一の事態を考慮して、我われは、日本軍の北京への派兵・援護を希求するものである」という意見が大勢を占め、政府や軍部に要請することを決定したが、これに賛成しない人がふたりだけあった、それは清水安三中江丑吉だという。丑吉!