伊藤整の長編自伝小説『若い詩人の肖像』(初版、新潮社、1956) 読了
札幌のホテルで伊藤整の長編自伝小説『若い詩人の肖像』(初版、新潮社、1956) 読了。この作品は、「海の見える町」(『新潮』1954年3月)、「若い詩人の肖像」(『中央公論』1955年9-12月)、「雪の来るとき」(『中央公論』1954年5月)、「父の死まで」(『世界』1956年1月)の連作に加筆集成したものである。時にだぶりの記載があるのはこの連作のあとをとどめているためと思われる。
伊藤整の作品は、詩、小説、評論をふくめてかなり読んできたのだが、この代表作『若い詩人の肖像』は後回しにしてきた。今回の札幌出張を機に集中することにした。
塩谷村(現小樽市)で育った著者が、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)に入学し、地元の中学校の教師となり、東京商科大学(一橋大学)に合格して上京し、北川冬彦や梶井基次郎ら文学仲間と付き合い始めるまでを描いたものである。
この間、著者は、詩への目覚め、恋人との出会いと別れ、父親との葛藤、同人誌の刊行、小樽高商での先輩小林多喜二との出会い、『雪あかりの路』の刊行、中央詩壇への憧れと羨望を、詳細に描いている。
最も特徴的なのは、若者特有の自負および生と性への関心と恐れが、如実に詳細に書かれていることであろう。女性を含めた対人関係でのためらいや自己肯定と卑下の思いが二重三重にこれでもかと書かれていて、背景は全く異なるが、わたし自身の若い時の情感と重なるものがあり、身がつまされるような思いで読んだ。
一方、1920年代の中央や地方の詩人や小説家の動向も出てくるし、同人誌や文芸誌、総合雑誌に掲載された作品についての言及もあり、著者の目に触れた文学出版史を追うこともできる。小樽高商の教師大熊信行の姿も描かれ、さらに東京商科大学の福田徳三の経済学書の内容にも触れていて、同時代の知的側面の一端にも触れることができる。
梶井基次郎に親しく接し、彼の小説の生まれるイメージ形成の根底を知り、自らの詩の位置を自覚させられる。そして父の危篤の報により帰省する列車内での思いの描写でこの長編自伝小説は終わるが、それは「詩との別れ」でもあることが暗示されている。
著者特有の文体を説明するのは難しい。ぜひ直接に作品に触れて確かめてほしい。この優れた作品は、今日、品切れであるが、古書店で入手して読まれることを期待する。