岡義武の学問

20161021

114年前の今日、1902年10月21日、政治史研究者の岡義武(東大名誉教授)が生まれました(1990年歿)。
岡は東大の聞き取り記録『談話筆記』(非公開 1984)で、自分の学問を志す動機として、昭和初期に「大学に残って研究者になり、学問の研究を通して労働者の解放とか、社会の改造とかいうことに役だちたいというふうに考えた」と言います(「岡義武 人と学問:丸山真男氏に聞く」1992『岡義武著作集』第8巻付録)。
これに対し、丸山真男は「驚くべきことです・・ぼくより、もっとラディカルです」と言い、岡について「大正デモクラシーの流れをくんでいる」「吉野作造の直系」と位置付けています。
また丸山は岡から聞いた話として、岡が1936年にフランスに留学し、人民戦線の大会の最後に「人民戦線万歳」と言って万歳の手を挙げたことを伝えている。さらに『談話筆記』は昭和15年皇紀2600年)の昭和天皇の東大行幸に際し、明治「憲法発布万民歓喜の状況」の展示について法学部の説明役担うことを岡が迷惑がったこと、岡の師である元総長の小野塚喜平次が行幸後、展示に対して不満を漏らし、明治憲法発布に際し「万民歓喜」したというのは「嘘」と言ったことなどが明らかにされています。
岡義武の父たる実は、農商務省時代に工場法案を起草し、また岡義武の先輩教授たる南原繁内務省時代に(山川均も評価したという)労働組合法案を起草しています。小野塚喜平次や吉野作造以外にも岡義武の周辺にこのような人たちがいたことも注目すべきです。