平塚らいてうの消費組合運動: 小嶋翔論文を読んで

20160920

平塚らいてうの消費組合運動: 小嶋翔論文を読んで

小嶋翔「戦前期消費組合運動における理念と実際運営: 平塚らいてう「消費組合我等の家」に注目して」『日本経済思想史研究』16号(2016年3月)を読む。小嶋さんは、宮城県大崎市古川にある吉野作造記念館の研究員。東北大学大学院日本思想史専攻の出身。氏には、博士論文『近代日本における個人と秩序の政治思想: 与謝野晶子・平塚明子の思想史的研究』があり、これは、与謝野晶子と平塚明子という非プロ政治家の思想の中に近代の政治主体の形成を追究した意欲作で、近々、某大学出版会から刊行される予定と聞いている。
今回の論文は、そのコロラリーとして、平塚明子(読みはハルコ;別名 らいてう)の消費組合運動を取り上げたものである。これも、消費組合運動という、直接には政治運動ではない課題に取り組む非プロ政治家の平塚明子に即して、理念と運動の問題を論ずるものである。
本論文によれば、明治後半期から始まった日本消費協同組合の初期の理論的指導者として片山潜石川三四郎安部磯雄が、そして昭和の初めの経済学の立場からの第一人者として本位田祥雄(東京帝国大学教授)が挙げられている。前三者は広義の社会主義者である。ただし特徴的なのは、本論文で引用される安部磯雄『社会問題解釈法』(東京専門学校出版部〔早稲田大学出版部〕1901)や石川三四郎『消費組合の話』(平民社 1904)では、消費組合運動は、貧困問題・社会問題の根本的解決になるものではなく、その前段階・準備にあたるものとして、政治的階級闘争とは異なる独自の領域として消費組合運動を位置付けていることである。本位田もまた、消費組合運動を「相互扶助の社会」という終着点を語りつつ「理想を現実化し、現実の中に理想を実現して行こう」とする「現実主義」の必要を語っている。
このような思想的背景のもとに、成城学園都市を基盤として大塚明子を「総指揮格」として展開された「東京共働社成城支部」の運動は、運動の発展とともに本部と対立し、1932年に「消費組合我等の家」として独立し、1938年に家庭購買組合に吸収されるまで存続する。
小嶋によれば、これまでの通史的研究では、消費組合運動を「市民消費組合」と「労働者系消費組合」と二分して捉える、階級的自覚の有無を評価軸とする理論的枠組みを持っていたため、市民消費組合の典型例である平塚の運動は注目されることがなかったという。本論文は、これまであまり光の当てられることのなかった平塚の運動について考察した貴重な論考である。
なお、本論文では、消費組合運動をめぐってのリーダー同士の確執が描かれる。小嶋も言うようにほとんど個人的確執ではないかと思わせるほどのものであるが、そこには消費組合運営上における《経営の利便性や短期的成果を重視する中央集権化》と《人間組織としての組合の成熟を優先する支部単位での自主的活動維持》との対立があったとする。卓抜な指摘であり、この対立は、多くの運動に伴う共通の課題である。詳しくは、小嶋論文にあたっていただきたい。

蛇足を一つ。
私が長年かかわってきた東京大学出版会は、東京大学消費生活協同組合出版部を前身とする。1946年に東京帝国大学消費生活協同組合が設立され、翌年47年4月の『学問と現実』の刊行をもって出版部はスタートした。同年12月の東大戦歿学生の手記『はるかなる山河に』、49年10月の全国戦歿学生の手記『きけわだつみのこえ』をもって洛陽の紙価を高からしめた。しかし、50年末には東京大学消費生活協同組合本部は出版部の解散を決めた。背景の一つとして、本部の《経営の利便性や短期的成果を重視する中央集権化》と出版部の《出版部単位での自主的活動維持》との確執があったと聞く。小嶋論文を読んでいて、そのようなエピソードを思い出した。