誄詞(石井和夫氏弔辞)

 今日は18時から月例の南原繁研究会があり、久しぶりに参加した。
 研究会では、8月に逝去された元会員の石井和夫氏追悼の誄詞(るいし)を述べた。石井氏は、丸山眞男『日本政治思想史』を担当した編集者である。以下、その誄詞を掲載する。

 

誄詞

 南原繁研究会会員であられた石井和夫氏への誄(しのびごと)を述べます。
 ご遺族からのご訃報によれば、石井氏は本年8月24日、介護ホームにて穏やかに天寿を全うされました。1927年生まれ。95年と半年余の生涯でありました。
 石井氏は、旧制中学を終えて、仙台の陸軍幼年学校に進み、軍人の道を歩みました。敗戦を満洲の地で迎え、朝鮮を経て、帰還。それまでの価値観の崩壊の後、ペンキ屋、角川書店での出版の手伝いを経て、東大文学部に入りました。岩波書店の校正者として学資を稼ぐかたわら、東大生協の学生委員となり、1949年から東大生協出版部で活動。翌年、生協出版部の解散方針が出て、氏は大学出版会を模索しました。
 そして、東京大学出版会創設の際、首唱者である南原繁東大総長から編集主任の辞令を受けました。1951年2月28日のこと、石井氏24歳の時です。爾来、出版ひと筋、専務理事を経て、退任後の顧問・名誉顧問として東京大学出版会の活動を支えてきました。
 この間、『政治理論史』はじめ南原の著作を多数手がけ、没後も『南原繁書簡集』(岩波書店)のための書簡収集に努めるとともに、生前の聞き取りをもとに、1989年、南原生誕百年の年、丸山真男福田歓一編『聞き書南原繁回顧録』の刊行を実現しました。これは、今日に至るまで、南原繁研究の第一級基礎文献となっています。
 また、大学出版部協会にあっては幹事長・顧問を務め、日本生命財団刊行助成制度の運用・充実に、さらにアメリカ大学出版部協会の日本研究図書出版促進計画の推進に大きな役割を果たしました。
 氏の軌跡は、編集を手がけた数多の書籍にあるとともに、唯一の単独著『大学出版の日々』(東大出版会、1988)に結晶しています。本書は、東アジアとの出版交流にも尽くした氏にふさわしく、1990年に北京大学出版社から中文版が刊行されています。
 ご長男の伸夫氏によれば、《丸山〔眞男〕先生の『日本政治思想史研究』の出版に携わることができて運がよかった が父との最後の会話になりました》とのことです。まさに、「出版に生き出版に死す」者の言と言えるでしょう。
 石井氏が『日本政治思想史研究』を南原に届けた時、南原は「ほほう」と言って目を細められたそうです。東大出版会の編集主任として南原に確乎と認知された瞬間でした。末期の眼にもその時の南原の目を細めた笑顔が見えたのではないでしょうか。
 また、石井氏は昭和前期の戦争について「愚かな戦争であった」と『UP』2013年11月号の「学徒出陣と南原繁」で書いています。それは若き日の軍人としての日々を思い返した苦衷を胸に秘めながらの言葉です。昭和初期に生を享け、令和初期に生を閉じた、その一世紀に近い軌跡を顧みる時、その軌跡自体が、石井氏が編集した一冊の本、書籍であります。
 後世、石井氏の携わった多くの書籍と共に、この生の軌跡という書籍が、わたしたちとわたしたちに続くものの行く手を照らすものであることを信じて、わたしの石井氏への誄といたします。
 石井さん、平安あれ!