中山義秀と佐左木俊郎

 

今日3/13日は佐左木俊郎の命日である。89 年前、1933(昭和8)年。33歳だった。のこされた美禰子夫人と息子久夫、娘郁子は、美禰子が育った小樽に帰った。そのことは、作家の中山議秀(義秀)による美禰子宛てはがきで確認できる。

佐左木俊郎と交流のあった小林多喜二から佐左木宛ての書簡が残っていないか、息子久夫が仙台市文学館に寄託した書簡の一覧「佐左木俊郎資料リスト(書簡)」をチェックしてみた。残念ながら多喜二の書簡は見当たらなかったが「145 中山議秀はがき 佐々木美禰子宛 昭和8年8月17日消印」がリストにあり、そこには(帰郷〈小樽〉報告を受けて、なぐさめの内容)という補記がある。

美禰子の小樽への帰郷の報告に対して、中山義秀が慰めの言葉を記した内容と推測される。佐左木も中山も、1924年加藤武雄、犬田卯や吉江喬松らによって始められた農民文学会に名を連ねていた。そのつながりで義秀のはがきが書かれたものと思う。仙台市博物館に行かなくてはならない。