栗原幸夫『プロレタリア文学とその時代』(平凡社1971)を読む

栗原幸夫プロレタリア文学とその時代』(平凡社1971)読了。今さらプロレタリア文学ではないでしょうという思いが頻々としながら、しかし、1920年代30年代日本および世界を考えるにあたって、プロレタリア文学をオミットすることはできないと思い、本書を読んでみた。

主として、日本資本主義の発達段階と国際的な革命運動・革命文学の流れをおさえつつ、蔵原惟人と中野重治との論争を主軸にして、日本プロレタリア文学運動の展開と終焉を描いたものである。それを簡潔に要約できるものではないので省略する。ただ。本書は、プロレタリア文学作品についてはほとんど触れていないのには、いささか驚かされた。理論先行の文学運動であったことがわかる。

本書によれば、プロレタリア文学運動について竹内好が、もっぱら階級対立に焦点を定め、中国の場合と異なり、ナショナルものに目を向けようとしなかったと言っていて、プロレタリア文学を論じた小田切秀雄がこれを受け入れているという。そして、栗原は、この見方をひいて、そのナショナルなものに目を向けたのが日本浪曼派であり、その日本浪曼派が形成されたのは、小林多喜二の死から2年後、ナルプの解体の1年後であったという。(これは、本庄陸男の日本浪曼派との関わりとも絡めて考えると、とても面白い見方である。)