平岡敬『偏見と差别: ヒロシマそして、被爆朝鮮人』(未来社、1972)を読む

平岡敬『偏見と差别: ヒロシマそして、被爆朝鮮人』(未来社、1972)読了。これは、著者が中国新聞記者時代に各誌に書いた文章をまとめたもの。半世紀を経るものだが、驚くほど今日の状況を撃つものだ。日本の植民地責任と戦争責任、日本人被爆者と朝鮮人被爆者、そして歴史認識問題など。結局、この半世紀の間、これらの、そして他の関連した問題を解決してこなかったことが、本書の意義を未だ失わせていないと言わざるを得ない。

 摘記するーー

《戦前、戦後を通じて徹底的に無視され続けた朝鮮人の問題を避けて、日本人が訴える平和とは何であろうか。》174ページ

《平和の思想は“人権を守る”思想から生まれる。人間一人を大切にしない国がどうして世界平和を口にすることができよう。私たちが戦争に反対する論拠は、戦争こそ人権をふみにじることによって遂行されるものだからである。被爆者にとって戦争はまだ続いている。彼らの人間はまだ回復されていない。その象徴的存在として韓国の被爆者がある。したがって韓国の被爆者の人権を守ることは、日本の被爆者の人権を守ることにつながる。その意味で、朝鮮、さらにベトナムヒロシマの延長線上にあるのである。》176ページ

被爆朝鮮人が問いかけているのは、日本人にとって「ヒロシマ」とは何なのか、ということである。それは被害者意識だけに埋没して来た被爆者に対する一つの告発である。日本人はこの告発を真正面から受け止めねばならないだろう。彼らは日本の国家責任の明確化と日本人の精神の検証を要求する。そして、日本人の朝鮮人に対する偏見と差別は、日本の社会において次第に顕在化してきた被爆者に対する差別と偏見と共通の根を持っているのである。》272ページ

《罪責感のないところに反戦思想は生まれない。被害者意識から生まれるのは厭戦思想だけである。》273ページ

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