吉野作造の「日本基督教発達史」
20140514
吉野作造の日記には、何度か日本基督教発達史を書いている、という記述が出てくる。それも、ヨーロッパ留学中の1910年、11年にである。たとえば、1911年ドイツのヴュルツブルクに滞在していた(明治44年)5月8日(月曜)には、《兼々心懸けて居つた日本基督教発達史の続稿を書く・・・》とある。政治学を勉強しに行って、資料も不如意であったろう欧州の地で、どういう理由でこのテーマに取り組んだのであろうか。
そう思って日記を読み進めていたら、ウィーンに移ったのちの同年8月9日(火曜)に次のような記載があった。先にドイツのハイデルベルクでキリスト教青年会の関係で知り合った《Helene Hahne氏 Fritz Hahne君より手紙来り且拙稿 Entwicklung des Christentums in Japan の掲載しある Das Volk 数葉を送り来る》と。
このドイツ語タイトルには日記の編者が「日本におけるキリスト教の発展」と邦語を付している。吉野の記す「日本基督教発達史」である。つまり、吉野は、Das Volk に寄せるために書いたのだと推測される。では、このDas Volk とは何なのか。「数葉」と表現しているところからすると、新聞か小冊子か、薄いものであることが想像されるが、分らない。
残念ながら、『吉野作造選集』別巻の年譜や著作年表には、この「日本基督教発達史」を書いたこと、Das Volk に掲載されたことが言及されていない。一体、この「日本基督教発達史」はどのような内容であったのだろうか。