丸山眞男『日本政治思想史研究』とわたし

2013/07/19

作文する必要があり、丸山眞男『日本政治思想史研究』(東京大学出版会、新装版、1983)を取り出していたら、当時、上司の指示により、この新装版の本作りを手伝った30年前のことが蘇ってきた。
丸山先生との話し合いにより、新しく組むにあたって旧漢字は新漢字にし、歴史的仮名遣いはそのままとする方針をとった。これは妥当な方針である。問題となったのは、漢字の置き換えである。
例えば「関聯」。「聯」は当用漢字採用以降「連」で代用されることが多い。しかし元々は別字である。私は「聯」を残すことを主張したが、上司は(当時バークレーにいた丸山先生の了解を得て)「連」に変えた。「藝術」も「芸術」にした。丸山先生はあまりこだわりがなかったようだ。
結果、『日本政治思想史』の第一章の元のタイトル「近世儒教の発展における徂徠学の特質並にその国学との関聯」の末尾は新タイトル「関連」となり、『丸山眞男集』でもこれを踏襲している。
『日本政治思想史』新装版のもうひとつのエピソード。丸山先生は若い人にも読んでもらいたいという意向をお持ちで、難読漢字や人名などにルビを振ることを再校段階で(海外から)提案され、上司は了解し、ルビを振る仕事を私に向けた。
ヒエー! 儒教関連の漢字の読み、また人名の読みなど、一義的に決めることなど出来ないことを知っていた私は断った。
結局、漢字にルビを振って若い人にも読めるようにするという丸山先生の意向は実現されなかったが、もしメールがあったら、海外にいた丸山先生と緊密に連絡を取り、丸山先生の確認を得たうえで、ルビを振ることが出来たのになあ、と今では残念に思う。

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丸山眞男『日本政治思想史研究』(東京大学出版会、1952)を私が入手したのは、大学1年生である1970年の12月だったと思う。当時、(マルクスドストエフスキー以外に)埴谷雄高丸山眞男吉本隆明高橋和巳が必読だったからである。
丸山『日本政治思想史研究』は(埴谷『死霊』と同じく)18歳当時の私には全く歯が立たなかった。冒頭のヘーゲルでまず躓いた。これを克服すべく、大学2年19歳になって、松本三之介「日本政治思想史」の授業を受け、また国学を理解すべく(契沖研究者の)林勉「古代研究」のゼミを取った。
丸山『日本政治思想史研究』での躓きは、さらに本居宣長折口信夫との出会いともなり、混沌を極めつつ、一方で、白川静の世界への眼ざめでもあり、20歳前後の私にとって大きな経験であった。それが、職業として選んだ世界において、著者自身とお会いできるとは。