『阿蘇山 徳永直自選集』(新興書房1932) を読む

阿蘇山 徳永直自選集』(新興書房1932) を国会図書館デジタルライブラリーで読む。版元の新興書房については知るところがないが、本書の奥付裏広告を見ると、自選集のシリーズとして、徳永直のほかに貴司山治が刊行され、また近刊として窪川いね子〔佐多稲子〕、林房雄小林多喜二中野重治が予告されている。プロレタリア文学戦旗派)を重心を置いた出版方針をとっていたのだろうか。

 また奥付には印刷所として、「東京都小石川区林町四三 共働印刷生産組合 松村兵吉」と記されている。争議を描いた『太陽のない街』のモデルとなった「共同印刷」ではない。この「共働印刷生産組合」はどのようなものであったかも興味深い点である。

 この自選集にの見返しには、「われわれは、その社会関係・生産関係において、集団の一人としての、人間を描かなくてはならない。 徳永直」と手書き文字が掲載されている。これが、印刷なのかどうかは、デジタル版では分からないが、作者の文学と社会と人間とに向き合う姿勢を伝えている。

 本書には次の4編の作品が収められている。「山一製糸工場」「拡がる戦線」「女工舎監の日記」「阿蘇山」。いずれも労働者農民の苦闘を描きつつ、未来への希望を読者に伝えようとするものである。

 


「山一製糸工場」(1932年4月)。夫が出征したのち、婆と6歳の「参次」と乳飲み子を抱えた「せき」は製糸工場で働くが、「帳場」から仕上がりが悪いという理由で馘首される。せきの従姉妹の「秋子」は組合運動を密かに行っていて少しずつ組織化しているが、馘首に抵抗できるほどには至っていない。夜、宿舎から外に出て、女性活動家と連絡をとっていた秋子は、近くに子供の泣き声を聞く。不審に思って近づくと、その子供は参次で、入水した母親せきを求めて泣いていたのだった。集まってきた宿舎の罐焚きや女工たちと池から、せきと乳飲み子を引き上がげる。「おせきちゃんを殺したのは帳場だ」「会社が殺したんだ」と叫んで、人々は戸板に乗せた死体を帳場に運ぶ。

 


「拡がる戦線」。東京の江東一帯にある工場の一つである東京車輌工場。工員は千人、うち七百人は青年である。朝は6時50分から夕は5時10分までの勤務。会社は彼ら彼女ら「若い鶏」を手なずけるために修養会クラブの柔道、フットボール、野球などに力を入れている。

 野球チーム中のナンバーワン「TOYO」の投手が立川健。彼は修養会のクラブ幹事に選ばれる。役付職工への道である。健には同じ車輌工場の女工であるお桂という恋人がいる。

 先々月から工員は割増手当が出なくなり、健も郷里の長崎の小作百姓への仕送りを減らさざるを得なくなった。工員の間に割増手当廃止に反対する声が上がり、交渉委員の選挙が行われた。それに対して会社側は修養会クラブ幹事を通して切り崩しを図り、また警察は運動リーダーを逮捕する。健らはこれに抗議して、修養会クラブからの野球チーム、フットボールチームの脱会をかちとり、「労働者のスポーツ」の自主化のビラやポスターを作成する。

 


女工舎監の日記」。冒頭に「これは、九州K県N製糸工場の教婦、F・T君の、最近二ケ月間における体験報告の詳細なるものを、日記体に改編したもの」という断り書きがあるように、一女学生から一職業婦人として二百の女工の教婦・舎監となったばかりの妾(わたし)の日記のかたちをとった作品。工場の規則を超えて丸12時間半も働かされている工場の現実に驚く。わたしは女工たちから会社の手先と思われていたが、逃亡女工が相次ぎ、女工たちの要望を会社に取り継ぐ中で段々と信頼を得ていく。そして、わたしは自分もプロレタリアであることを自覚していく。わたしは馘首が近づいていることを知るが、新しい途を進もうと決意する。

 


阿蘇山」。K水力発電株式会社の発電所が出来てから、川が涸れ始め、周りの村は農業ができなくなるが、村長や村会議員は会社の株をもらっているために、要求を突きつけることをしない。農民の決起。その様子を描いたもの。子供も含めた一家が決死隊を作って突発していく様子など、あたかも農民一揆のごとくみえる。

末尾に作者の断り書きがあり、作品は途中までで「中止」されている。蜂起までは描くことができたのだろうが、その後、つまり敗北を描くことができなかったと推測される。