南原繁と中江丑吉 2022/11/03

[11/3南原繁シンポジウム後の懇親会での挨拶]

 本日、久しぶりにリアルの南原繁シンポジウムに参加させていただきました。いいですね。開会の挨拶で樋野興夫代表が語られましたが今回が19回。2004年の南原繁研究会立ち上げの際にわたしも呼びかけに応えて参加しましたが、こんなに研究会とシンポジウムが続くなどとは全く思っていませんでした。当時、樋野先生は「継続は力なり」と繰り返し語られていましたが、まさにそうであったことを噛み締めています。

 本日は、保坂正康、加藤陽子のおふたりの先生の基調講演を聞きまして沢山の刺激を受けました。特に、ナカエイストであるわたしとしては、保坂先生が、一高、東京帝大法学部で同窓であった南原繁中江丑吉をテーマとして講演されることを知り、本日のシンポジウムを心待ちにしていました。ナカエイストと言っても、内輪の符牒のようなものですから説明しますと、中江兆民ではなく、息子の中江丑吉のファン(中江丑吉主義者と言ってもいいのですが、主義者ほどのつよい意味はない)という意味です。わたしは、自称ナカエイストなのです。

 わたしが中江丑吉について何を通して最初に知ったのかというと、それは作家で中国文学研究者である高橋和巳が編集した『ドキュメント日本人2 悲劇の先駆者』(学芸書林、1968)の解説によってだったと思います。おそらく1971年、わたしが19歳の時です。中江丑吉ーーこういう人がいるんだ、と強く印象付けられました。

 一方、わたしは、南原繁が提唱した東京大学出版会に職を得ました。東大出版会も独立採算制の出版社です。収支あい償う出版を継続しなければなりません。いい本を出しているという自己満足ではやっていけません。

中江丑吉は、パブリシティを蛇蝎の如く嫌いました。出版世界に身を置いてみると、販売至上主義とは言わなくてもパブリシティ優先主義の問題点はよく分かるのです。とは言え、出版人としてのわたしの半世紀近い歩みは、実は、パブリシティを否定する中江の思想を核としつつ、パブリッシングに関わる、矛盾・相克を生きることだったのです。

 その矛盾・相克を解決し得たわけではありません。今も抱え続けています。しかし、この矛盾・相克は、マイナスだけだったとは思いません。その矛盾・相克を生きることによって、出版とは何か、書籍とは何か、学術出版とは何か、学問に関わるとは何か、はたまた生きるとは何か、を問い続けてきた、問い続けている、からです。

 本日の保坂正康先生のご講演をお聞きしていて、あるいはわたしは、南原繁中江丑吉が交錯する交点、矛盾・相克する交点を生きたのかもしれない、そう思いました。

 このようなことに気づかせていただいた保坂先生、それから南原繁研究会に改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

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