慶應義塾長小泉信三と慶應出版

慶應義塾小泉信三慶應出版に関連した旧稿(2015/10/01)です。

 

 

「1937年に設立された慶應出版社について:ユニバーシティ・エクステンションの重要性」

 時の塾長小泉信三は1936年ハーヴァード大学創立三百年記念祝賀式典に招かれた際に、いくつかの大学を回り、大学拡張(ユニバーシティ・エクステンション)の重要性を認識しました。『慶應義塾大学出版会のあゆみ 1947→2007→∞』に収録された坂上弘「ユニバーシティ・プレスと福澤・小泉先生」に引用されています1937年8月『三田評論』「塾の近況」の小泉信三の言葉を重引します。
《在米中少しく注意を払ったのは、大学拡張という名の下に行われる学問の大学外への普及の運動である。・・大学外の公衆に向かって講演あるいは講義録のような刊行物をもって働きかけることが主もなる方法となっています。》
そして坂上によりますと、小泉の渡米日記では、イエール大学に行って大学出版部の組織について聞き、スタンフォード大学では「ここには出版に十四人。印刷所に職工六十人」と記し、ジョンズ・ホプキンズ大学では「この大学出版部は、全米中最もふるきもの。また予の聞く限りにおいては収支償う唯一のものなり。」と実情をつぶさに把握しているということです。
 小泉が渡米の翌年に、ユニバーシティ・エクステンションを担うべく株式会社として設立したのが慶應出版社であり、戦後の1953年まで続きます。「講座経済学」シリーズや学術書などを刊行しています。小泉信三支那事変と日清戦争』(1937)から中村菊男『易しく読める政治学講話』(1951)まで。国立国会図書館サーチでは158件の刊行物があります。
 戦時体制に入っていく時代にあって、果敢な出版活動を行っていることは注目に値します。当時にあって、大学出版部ないし大学出版部的な存在として、この慶應出版社に匹敵するものはなかったのではないでしょうか。
 この果敢な出版活動を支えたものが、1936年時点で小泉信三がその重要性を認識したユニバーシティ・エクステンションの理念だと思います。小泉がこの重要性を認識したということは、日本の大学出版部の歴史にとって括目すべきものです。それまで、日本の大学出版部の代表的存在であり、創設初期からユニバーシティ・エクステンションの理念(これは、ジョンズ・ホプキンス大学のユニバーシティ・エクステンション活動に携わった家永豊吉により伝えられたものです)に沿って活動を続けてきた早稲田大学出版部が、高田早苗坪内逍遥市島春城らの幹部の退任を経て、ほぼ大学の内部出版にとどまるような沈滞状態に陥ったのがこの頃だからです。言わば、大学出版部を基礎づけるユニバーシティ・エクステンションの理念は、この時点で実質的に早稲田から慶應に引き継がれたと言えるでしょう。