嘉村礒多「崖の下」を読む

 嘉村礒多(1897-1933)の初期の代表作「崖の下」(『不同調』1928.7)400字48枚を『私小説名作選上』(中村光夫選、講談社文芸文庫)で読む。掲載誌『不同調』は「文壇の大久保彦左」と言われた中村武羅夫主宰の雑誌で、嘉村はその記者をしていた。

「崖の下」は「業苦」と共に嘉村の初期の作品であり、宇野浩二に賞賛され、これによって嘉村は文壇に認められるようになった。山口県に妻子がありながら、女性と東京に駆け落ちした前後の苦悩を作品にしている。生活苦、病苦もあるが、性格苦とも言うべきものが、主人公と作家にある。

 嘉村の実際の体験をもとにした私小説と言われるが、またそうであろうが、しかし、作者を思わせる主人公と、主人公の内面を描く作者と、自らに表現の意味を冷徹に見つめる眼の持ち主である嘉村礒多と、実は三層(三相)構造からなる、手強い作品を描く、手強い作家である。「それ私小説の極北」と言われ、かつ今日にまで読み継がれている由縁であろう。

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