岡義武『独逸デモクラシーの悲劇』(アテネ文庫1949)

 昨日の菅義偉前首相による安倍晋三元首相追悼において岡義武『山県有朋』が言及された。岡には名著『独逸デモクラシーの悲劇』もある。以下は、2016/09/28の拙文。


 梅田の阪急古書の街の太田書店で見つけた岡義武著『独逸デモクラシーの悲劇』(弘文堂、アテネ文庫、1949年10月初版、52年3月再版)をようやく読んだ。敗戦から1年の『世代』1946年8月号に載った「ワイマール共和国の悲劇」に加筆増補したもの。文庫版で本文54頁ほどの小冊子。この小さな本でワイマール共和国の誕生からワイマール・デモクラシーの終焉まで描き切っている力量と技量とには、敬意を表すると共に畏怖を感じる。
『世代』初出の時は、日本国憲法が議会で審議されている時。文庫刊行時もまだGHQ占領下にあった時である。日本の行く末が不透明な中で、緊張感をもって筆を進めたことが行間から伝わってくる。
 著者は、短命に終わったワイマール憲法は「不幸の中に生れ落ち、不幸の中に生き、そして夭逝した一人の薄倖なるものの生涯にも似ている」という。そして、本書末尾を次の言葉で結んでいる。
「明白なことは、自由は与えられるものではなくて、常にそのために闘うことによってのみ、確保され又獲得されるものであるということである。そして、そのために闘うということは、聡明と勇気とを伴わずしては、何らの意味をももち得ぬということである」。
 私はこれを読んでいて、有沢広巳『ワイマール共和国物語』(東京大学出版会)を思い出した。ワイマールドイツで留学生活を送った有沢は「ワイマール共和国が滅びたのは、それを守る民主主義者、闘う民主主義者がいなかったからである」と言っている。この両大家の警告は現代日本に生きる我々に示唆するところ大である。
 (岡の論考は、三谷太一郎解説による文春学芸ライブラリーの『独逸デモクラシーの悲劇』に収録されている。)

 

 

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