北のまほろば

石坂洋次郎との関連で葛西善蔵について調べていて、そう言えば、旧弘前市立図書館の近くに文学者の碑があったことを思い出した。調べてみたら、今官一文学碑である。

2008年8月、大学出版部協会の夏季研修会で弘前に行った時である。その時は、金木町の斜陽館に行ったり、五所川原駅前で短時間、酒を飲んだりした。

その研修会についてUPに書いた拙文が、以下の「北のまほろば」である。再掲する。

 

北のまほろ

8月中旬、大学出版部協会の夏季研修会が弘前大学で開かれた。2004年の6月、この地に国立大学法人弘前大学の一組織として弘前大学出版会が生れた。ねぷた絵の画集『津軽の華』を皮切りに既に48点の書籍を刊行し、専任職員2名を擁している。その協力を得ての研修会の開催であった。
 誕生の母型から大学出版部を分ければ、3つある。講義録を中心として出発した私立型(早稲田、慶応、東京電機大等)、国立大学を基盤として出来た独立組織型(東大など)、そして法人の一組織として生れた国立大学法人型。弘前大学出版会は、この3番目の型のさきがけである。なぜ、弘前が・・。
 弘前城の近くに洋風建築の旧弘前市立図書館(明治39年)がある。当時市立であった東奥義塾の敷地に民間人が建設し寄付したもので、民に始まる公共図書館と言える。東奥義塾は、慶応義塾に学んだ菊池九郎が明治5年に興した私立学校で、その発展には本多庸一が尽力した。当地出身の本多は横浜バンドの一員で、東北地方で最も古いプロテスタント教会である弘前教会を開いた。教育面では他に東洋英和や青山学院などに関わっている(森岡清美『明治キリスト教会形成の社会史』参照)。
 1947年に東大経済学部公開講義の一環として弘前大学の前身の一つ旧制弘前高校を訪れた矢内原忠雄(戦後2代目の東大総長、出版会会長)は、本多始め70人の伝道者を生んだ地として弘前を特筆している。
 前川国男の建築を含め先進的・先駆的精神の息吹を感じさせる建物群の多い弘前。この地に落ちた一粒の麦、遠藤正彦学長(出版会会長)を先頭とする弘前大学出版会が成長し、その実りが豊かであらんことを。