川口大三郎君事件

つらい本を読んだ。新刊の樋田毅『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事
件の永遠』(文藝春秋) 。今日 11 月8日は奇しくもこの「川口大三郎事件」が
1972 年に起きてからちょうど 49 年目の日にあたる。三年生であったわたしも
「義憤」にかられ、この革マル暴力支配に対する糾弾運動にサークル連絡会議の
一員として加わったが、当の第一文学部での自治会臨時執行部の委員長となった
著者の活動と思いについては全く知るところがなかった。
非暴力を前面に掲げての一般学生を巻き込もうとする著者らの新自治会の方針と
、直接行動を方針とする個人加盟型の行動委員会(WAC)との路線の違い、そ
して革マルの一層の暴力化、対抗する諸党派の絡み、大学執行部の無策などなど
が交錯するなか、運動は一年余で敗北、終焉する。
本書は、当事者であった著者の一文を中心とする記述であって運動全体に及ぶも
のではないが、しかし、資料調査やインタビューを踏まえ、出来るだけ冷静に事
件を捉えようとする貴重な記録である。あの運動は何を生んだのだろうか。何も
生みはしなかったという思いに囚われてしまう。ただ、むき出しの暴力にさらさ
れつつも、果敢に闘った著者らに対しては敬意を表する。
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学生大衆による自然発生的な糾弾行動があって、一方、一文での学生自治会形成
=臨時執行部選出があり、他方で、革マル支配下の文連に不満を抱いていたサー
クルからサークル連絡会議(C 連)が形成され、この C 連が最初、糾弾行動の核
を担うようになった。その中で、個人加盟型の行動委員会(WC)ができ、その
全学行動としての早稲田行動委員会(WAC)が形成された。他方、自治会が解
体していた政経学部自治会が組織され、他学部も同時的に作られた(法学部は
民青主導の自治会が継続)。これらの反革マル自治会はしかし大学の認めると
ころとはならず、商学部革マル主導の自治会が大学から公認され続けた。
C 連と WAC は連携した行動をとったが、自治会臨執との間とは、組織原理が異
なることもあって、距離があった。樋田氏は、非暴力路線の自治会臨執と、武装
路線の WAC との相違として描いているが、WAC は個人加盟であり、革マル
暴力に対しては自己防衛を強いられて実力行動を辞さない方針を取ったのである。
ヘルメットをかぶったのは、その自己防衛の表れであるが、樋田氏の言う通り、
当時のファッションに従ったということも確かにあった。
なお、今日考えてみると、革マルが暴力支配する一文においては、学生大衆に依
拠する自治会臨執は、実力路線では対抗できず、非暴力路線のみが可能だったと
も思える。一方、本部キャンパスを活動根拠とした WAC は、革マル暴力支配が
相対的に弱く、実力行動で対抗できる可能性があると判断したと思う。