船山馨『蘆火野』

船山馨『蘆火野(あしびの)』読了。400字1300枚の長編歴史ロマン。1972年4月から翌年6月まで朝日新聞に連載され、73年7月に朝日新聞社から刊行された。幕末の箱館と江戸とパリを舞台。主人公は、みなし子のおゆきと、直参小普請組でいち早く武士身分を脱したの河井準之助。フィクションであるが、江戸から箱館の諸術調書の武田斐三郎に学びに来た新島襄・準之助とおゆきの出会いから本書が始まるように、同時代のさまざまな実在の人物が登場する。上野戦争箱館戦争、そして主人公二人が渡ったフランスでの普仏戦争、パリコミューンを背景として、名もなき二人の愛と生死が描かれる。

時代に翻弄される人々が描かれるという紋切り型の小説ではない。さまざまな悲運に見舞われながらも、しかし、自らの運命を切り開こうとして精一杯生き切ろうとする人々が精彩をもって描かれる。その生を象徴するのが、本扉裏に引用される俳句「美しき蘆火ひとつや暮の原」(阿波野青畝)である。枯れたアシを燃やした火が蘆火であり、その火はわたしたちの生そのものである。

読み応え十分の作品であるが、今はほとんど読まれていないのではないか。主人公二人がパリで夢見た、函館に戻って開こうとした庶民向け洋食店「雪河亭」は、パリコミューンで落命した準之助との間の子によって函館基坂下に実現したと作品の末尾に書かれている。それにちなんで函館の老舗である五島軒が蘆火野カレーをメニューとし、同店にはメモリアルホール蘆火野が併設されている。

それにしても、諸学調所の武田斐三郎(五稜郭の築造者)を重要な登場人物とする本作品があるとは最近まで全く知らなかった。また、幕末に来日したフランスの外交官や軍事顧問団も丁寧に描かれるているのも本書の特徴である。

戊辰戦争普仏戦争とパリコミューンを重ね合わせた本書は、第二次大戦・太平洋戦争に至る近代史の根にあるもの、国家と普通の人々との関わりを探ろうとした船山馨の渾身の作品である。