佐々木揚先生追悼

東アジア近代史学会の『東アジア近代史』第24号(2020.6) に「佐々木揚先生追悼記事」として、檜山幸夫、川島真、中見立夫の3人が追悼文を寄せている。佐々木先生は佐賀大学名誉教授。2000年に『清末中国における日本観と西洋観』を東京大学出版会から刊行している。

わたしが佐々木揚先生を知ったのは、先生の師にあたる坂野正高先生の葬儀(1985年)の時であり、その後も坂野先生の命日の雑司ヶ谷墓地へのお参りと食事会で何度かご一緒した。墓参には、ご家族、佐々木先生のほか、坪井善明、古藤友子、高橋進の諸氏が常連だったと記憶する。

川島真が書いているように、坂野先生の逝去直前に上梓された『中国近代化と馬建忠』(東京大学出版会)の書評を佐々木先生は寄せている(『史学雑誌』94-11、1985.11)。それは、坂野の研究への評価と自らの研究史上の立ち位置をよく示したものだという。

檜山によると、四半世紀ほど前に佐々木先生は「日本史研究者の思考回路の狭さ、無意識に陥っている一国主義的な歴史観、更には無意識的な大国主義的意識」に対して苦言を呈し、日本史の事象を、東アジア史からアジア史、さらに世界史という視点から捉えることの重要さを訴えていたという。

中見の回想では、東大定年後の坂野は東洋文庫で若手研究者を集めた研究会を行っていて、そこには、佐々木、濱下武志、森山茂徳、坪井善明、古藤友子が集っていたという。幽明界を異にした方、また病床にある方もいる。多くの時間が流れた。