日本読書組合版宮沢賢治文庫

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【日本読書組合版宮沢賢治文庫】
昨日、英宝社の社長の佐々木元さんと会っていて思い出したことがある。英宝社は、ジョン・ロナルド・ブリンクリー(1887-1964) が初代社長として創設された出版社であるが、実務の中心は、2代目社長となった佐々木峻氏(1910-93) であった(元さんの父君)。佐々木峻氏は、戦後いち早く、1946年1月に武者小路実篤を組合長とした「日本読書購買利用組合」(通称、日本読書組合)を興した人物である。
この日本読書組合は、産業組合法に基づき農林省から公認された会員制組織である。著者−出版者−読者とを組合員として、日本文化の向上を目的に、各出版社の「良書」の購買斡旋と、独自の出版とを主要な事業とした。いわば、取次機能と出版機能との双方を備えた組合である。と同時に、1946年7月から月刊の『読書雑誌』を発刊し、文化や本に関するエッセイ、書評、組合員の声、各出版社の新刊書籍一覧、雑誌論文一覧を掲載し、組合員への読書案内に役立つ情報の共有を目指した。これは、1947年11月までに10号を出し(合併号もあった)、1948年7月に季刊第1号を出して休刊となったようである(現物では確認していない)。
日本読書組合が独自に刊行したものは、西鶴全集やアンドレ・ジイド全集などのほか、多くの単行本がある。これらは1949年まで刊行されたようである。
1946年5月時点で組合員は一万人を超えたと『読書雑誌』創刊号(1946年7月)に書かれている。順調に伸びるように見えたが、西鶴全集やジイド全集について、組合員からはクレームがついている。装幀が貧弱、紙が悪い、印刷が悪いーー失望した。敗戦直後の物資欠乏の時だけに如何ともしがたいと思うが、組合員の信頼を勝ち取る出版とはならなかったようである。理想を高く掲げただけに、現実との落差が大きかったのだろう。専務理事も、半年ほどで、初代の坂上真一郎(建設社出版部)から中島健蔵(フランス文学者)に代わっているのも、何かがありそうである。

その刊行物の一つとして、宮澤清六編『宮澤賢治文庫』がある。全集と謳っているが、全何巻のものか、確認できていない。ネットの「日本の古書組合」で検索すると、1、2、3、4、6、7巻は出てくるので、既刊6冊なのかもしれない。
実は、私が学生の時に、佐々木峻が社長を務める英宝社でアルバイトをしていた。1970年代初めである。その倉庫でこの日本読書組合版の『宮澤賢治文庫』を見つけ、佐々木峻氏にその経緯を聴いたことがある。もう半世紀近く前でよく覚えていないが、
ーー武者小路実篤を担ぎ、中島健蔵を専務理事として日本読書組合を作ったこと、長く続かず解散に至り、その負債を抱えて苦労したこと、また、全集の企画を考える際に戦意高揚に利用されることの少なかった作家として宮澤賢治が候補に挙がり、刊行したが、完結に至らなかったことなどーー
特に《戦意高揚に利用されることの少なかった作家としての宮澤賢治》ということには強い印象を受けた。このことを佐々木元さんと話していて思い出したのである。元さんも、この『宮澤賢治文庫』を見た覚えがあるという。
竜頭蛇尾。とりあえず、以上を記録しておく。
写真は、『読書雑誌』創刊号の表紙。ビアズレーの画が使われている。