頌 土方正志
頌 土方正志(20160309)
5年を迎える東日本大震災の起きた3月11日が近づいてきて、落ち着かない気持ちでいる。そのような中、今日は、東京は神田神保町の東京堂書店で開かれた《『震災編集者――東北のちいさな出版社〈荒蝦夷〉の5年間』刊行記念 土方正志さん×東雅夫さんトークイベント&サイン会》に出席した。これは、どうしても出たいと思っていたイベントである。会場も、事前に用意した椅子では足りず、追加するほどであった。
このイベントは、タイトルにあるように、土方正志著『震災編集者――東北のちいさな出版社〈荒蝦夷〉の5年間』(河出書房新社)の刊行を記念したものである。私も同書を読んで、とても感心し、舌足らずながら、次の感想をSNSで発した。
《土方正志著『震災編集者』(河出書房新社)を読んでいる。仙台に拠点を置く出版社 荒蝦夷を主宰する著者の、3.11後 5年間の苦闘の軌跡(の一端)。危機の時代は優れた記録者・証言者を生み出し、優れた記録者・証言者は、時代の危機を写し・映し続ける。》
今回のイベントに参加し、実際に著者の話し、および東雅夫さんとの掛け合い、そして、会場とのやりとりを見聞きして、一層、その思いを深くした。時と所の織り成す運命は、この時代の記録者・証言者として〈土方正志〉を生み出したのだと。
なお、私が土方さんと最初に出会ったのは、大震災の4か月前、大学出版部協会の秋季研修会が仙台で開かれた際だった。東北大学出版会の小林直之さんのご尽力で、地域発出版社の現状というテーマが組まれ、荒蝦夷の土方さんと千葉由香さんが報告された。その懇話会において、土方さんと話しをしていたら、談たまたま戦前の宮城県岩出山出身の作家 佐左木俊郎に及び、氏はその作品集の刊行を計画しているとのたまわり、私はほとんど卒倒しそうであった。佐左木俊郎は、私の縁戚であり、1984年に浩瀚な『佐左木俊郎選集』が英宝社から刊行された際に手伝ったことがあるからである。
そしてまた、氏は、ミステリー作家としての佐左木俊郎像を前面に出して作品集を作りたい、と言い、それは、農民文学が本領であると思っていた私の意表を突くものだった。ほとほと感心したものである。
翌2011年の初め、佐佐木俊郎作品集を刊行にあたっての著作権に関する問い合わせの電話があり、いよいよ出るのだろうと期待していた時に、3月11日の東日本大震災が起きたのである。前代未聞の事態に遭遇し、宮城県の実家、知人との連絡が途絶え、かつ、あずかっていた東京大学出版会の運営をを対外的に・対内的にどう方向付けるかに苦辛していた私は、ようやく5月初めに宮城県に入って、被災地をめぐることが出来た。
この時、私は、実は、被災の直撃を受けた荒蝦夷の活動により、大きな勇気を与えられたのである。それは、以下の5月5日に被災地を回った時、荒蝦夷の新刊『仙台学vol. 11』に出会うことによってである。
《5日は、松島、塩釜、多賀城を廻った。他の地域と比べて松島は奇跡的に被害が少ないと見えた。観光船も、船の被害に遭いながら、湾内の清掃に努め、島の状況を確認し、営業を29日から開始した、という。半世紀ぶりに観光船に乗り、大震災前と変わらぬ蒼海に衝撃を受けた。塩釜港で降り、塩釜の沿岸および市内の被害が大きいのに心が痛んだ。
塩釜市内を歩き廻り、ひどい疲労感に襲われ、仙石線の本塩釜駅で休もうとする。この駅にも津波が押し寄せ1メートルほどの浸水があったという。周囲を板で囲み、かろうじて駅の機能を果たしているようだった。
休むどころではなく、駅周囲を見回したら、南口に嶋屋書店がある。入ったところ、レジ近くに、昨年11月に仙台で世話になった有限会社「荒蝦夷」の刊行物があった。土方正志氏の顔が浮かび、『みちのく怪談名作選vol. 1』と、震災特集の『仙台学vol.11』をもとめる。
東日本大震災に全てをあてた『仙台学vol.11』は、4月26日の刊行奥付。17人による寄稿と白黒写真で72頁。写真の多くは「荒蝦夷」の撮影。記録写真とはまた趣が異なり、被写体へのいたましい、いとおしい思いがよく表れている。非日常のなか、いい仕事をされている。
「荒蝦夷」の本に出会い、元気を出し、多賀城跡に行く。》
当日、購入した『みちのく怪談名作vol. 1』の編者が、東雅夫さんである。
今日のトークは、土方正志さんと東雅夫さんという絶妙のコンビによる息のあったものだった。その会場にいて、この数年間の来し方行く末を思った。土方さんの一層の健勝と健筆を祈る。もちろん、零細企業経営者としての健闘も。