佐久間象山の失敗した字書出版計画

佐久間象山の失敗した字書出版計画 2012/05/27
天理ギャラリー「近世の文人たち」には、佐久間象山(1811-64)の自筆の「ハルマ出版に関する藩主宛上書」(嘉永2=1849年2月)が展示されていて、かつて調べたことのある象山の失敗した字書出版計画のことを思い出した。『和蘭字彙(ヅーフハルマ)』改訂版の藩による開版願いである。
藩による『ハルマ字書』開版願いは聞き届けられず、佐久間象山はさらに嘉永2年5月に藩主に、自分の知行を担保に開版資金の貸与を願い出て、これは許された。その10月、開版の願書を幕府天文方に提出した。これが梨の礫で、しびれを切らした象山、翌年3月、老中阿部正弘に陳情した。
象山の『和蘭字彙』出版計画は、4月幕府の不許可回答で挫折。落胆した象山は、同月鎌倉に遊びに行った。海路で江戸に戻る際、相州安房の沿岸防御の不備に気付き、そのことを指摘した幕府宛上書を書くが、藩に止められたというオマケがつく。
最初に藩主に『ヅーフハルマ』の開版を願う際、「一州に5-10人の購読者がいて、六十余州では300部・500部にもなり、学人・大名・旗本もいるので500部・700部も売りさばくことが出来る」と訴えているのは今日と変わらないなあ。辞書を刊行しようとする彼の熱意に敬意を表する。