中江兆民の日本出版会社

20180516

中江兆民は、1883(明治16)年に「日本出版会社」を作り、社長に就任。バックル『英国文明史』第1-8篇(土居光華訳、1883-84)、ヒューム『政治哲学論集 第1巻』(土居言太郎、1885)はじめ何冊かの本を翻訳出版している。その前に『民約訳解』などを出した兆民の仏学塾出版局や小野梓の「東洋館出版」などをも視野に入れ、直接に出版組織と関わった明治期知識人のことを明らかにして、近代日本の印刷出版文化の裾野を広げてみたい。

20110516

明治8年4月、(旧)東京外国語学校の校長となった中江兆民は、学生の修身教育として、儒教を取り入れようとしたが、当時の文部省は反儒教の福沢門下に押さえられていて、入れられず、5月には辞任。背景には、学生に人気のあった給費システムから貸与システムへの変更があったようだ。
中江兆民は、明治16年に「日本出版会社」を作り、社長に就任。バックルはじめ何冊かの本を翻訳出版している。小野梓の「東洋館出版」などをも視野に入れ、直接に出版組織と関わった明治期知識人のことを明らかにすると、近代日本の印刷出版文化の裾野を広げることができそうだ。
中江兆民よりは息子の丑吉に対して関心を寄せ続けてきた私にとって、兆民は手強い相手だ。どこかで、子は親を超えられないという思いがあり、その思いは私自身の父親と私との関係に二重写しとなるからこわい。丑吉もそのことは分かっていて、自らの身の振り方を規定したはずだ。