足利学校メモ

2012年10月30日の足利学校メモ
足利学校メモ①:五味文彦『日本の中世を歩く』(岩波新書、2009)によれば、連歌師の宗祇の弟子である宗長(1448-1532)の著した『東路の津登』(あずまじのつと)には、永正6年1509年に下野の足利学校に立ち寄った時の記述がある。《足利に立ち寄侍れば、孔子子路顔回、この肖像をかけて、諸国の学徒かうべを傾け、日ぐらし居たる体(てい)は、かしこくあはれに見侍り。》「足利学校に学徒が集まって、・・中国の儒聖の肖像を掲げて勉学している風景を描いているのがわかり、まことに興味深い。」と五味は評する。(宗長には『宗長日記』が岩波文庫にある。)
足利学校メモ②:フランシスコ・ザビエルが鹿児島に8月に着いてすぐ、天文18年1549年11月5日にゴアのイルマンに送った書簡(『イエズス会日本通信』)から。《都の大学の外に、なお有名な学校が五つあって、そのなかの四つは、都からほど近い所にあるという。それは高野・根来寺比叡山・近江[三井寺]である。どの学校も、凡そ三千五百人以上の学生を擁しているという。しかし日本に於いて最も有名で、最も大きなのは坂東であって、都を去ること最も遠く、学生の数も遥かに多いという。》これが足利学校。(五味文彦根来寺足利学校:学校教育の始源」『UP』2011年12月号)
足利学校メモ③:ルイス・フロイス『日本史1』(中央公論社、1977)の「第一部序文」から。《学問に関して言えば、全日本でただ一つの大学であり公開学校と称すべきものが、関東地方、下野国の足利と呼ばれる所にある。》これが足利学校