二葉亭四迷の死

111年前の今日、1909年5月10日、二葉亭四迷長谷川辰之助)が亡くなりました。朝日新聞特派員としてロシアに赴任、病を得て、日本郵船の加茂丸に乗船して日本への帰国途中に、ベンガル湾上で逝去。享年46. 追悼集として坪内逍遥内田魯庵編『二葉亭四迷』(易風社 1909)が刊行されますが、この本の校正は石川啄木が行っています。
なお二葉亭は日本最初のエスペラント独習書『世界語』、ザメンホフ著の翻訳書『世界語読本』を1906年に著していることでも注目されます。

二葉亭四迷歿後半月ほどで書かれた近松秋江の追悼文(『文壇無駄話』より)。

印度洋上にて病歿せる長谷川氏

長谷川二葉亭氏が、病の為に露西亞からの帰航中、印度洋上で死なれた。私は長谷川氏が印度洋上で亡くなられたといふことを考へて、何うも、それが日本の文人でないやうな氣がする。日本の文人の死處とLては、餘りにローマンチツクである。希臘の獨立戦爭に身を投じてゐて病死した、バイロンか、それともツルゲーネフ作中の主人公か。不思議といはふか、当然といはふか、性格といふものは生死の際にまでもその人に纏綿して、その人を説明しようとする。長谷川氏が印度洋上の船の上に最後の場処を見出したのは、頗る偶然なやうであって、その實偶然ではない。その人の性格が遂に其処まで持って行かねばならなかったのである。……
かくの如き誠實の人にあっては、その知識が、實世間の観察に依って得たものであらうとも、また讀書に依って得たものであらうとも、それに依って自己の本性に影響を與へられずにはゐられない。長谷川氏が少年にして夙に露西亞の文學思想の感化を受けたのが決して盧偽でなかったといふことは、氏の實生活がそれを確証してゐる。偽らざる性格に從ってー生を終始する人はそれが悲劇であらうとなからうと、止むを得ないのである。(四十二年五月廿日)