『新人』: 本郷教会と東大新人会そして吉野作造と佐左木俊郎

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高見順『昭和文学盛衰史』第2章「黒き犯人」の中で、左翼雑誌として『新人』大正14年(1925) 8月号に言及している。その号には《大山郁夫「無産政党と無産階級意識」といった論文と今野賢三「女花火師」等の創作欄の間に、プロ・コント集というのがあって、細井和喜蔵、佐左木俊郎、有富真沙夫と共に林房雄がコントを書いている。》と高見順は書いている。1900年に本郷教会の海老名弾正が創刊した『新人』は、関東大震災後は東大新人会が執筆者の中心になった=左翼雑誌となったのであり、そこに新人会の活動家であった林房雄が寄稿しているのは自然である。わたしが注目したのは、日本のプロレタリア文学の先駆とも言うべき雑誌『種蒔く人』の今野賢三や『女工哀史』の細井和喜蔵と並んで佐左木俊郎の名前があること。

佐左木俊郎は、1924年に新潮社の『文章倶楽部』の編集を手伝うようになり、その翌年に『新人』に寄稿したことになる。どのような縁があったのだろうか。よく分からないが今野賢三つながりもあったのだろうか。というのは、雑誌『種蒔く人』が1923年(大正12年)に廃刊したのち今野賢三らが同人誌として1924年(大正13年)6月に発刊した『文藝戦線』に1926年から寄稿しているからである(推測に過ぎない)

 

『新人』は本郷教会のもとにあった時は、吉野作造も編集にあたり寄稿もしていた。編集主体が変わったとはいえ、その『新人』に、吉野作造宮城県大崎市古川十日町出身)と佐左木俊郎(宮城県大崎市岩出山上野目出身)の二人が関わっていたことを興味深く思ったのである。

では『新人』に寄稿した佐左木俊郎のプロ・コントとはどういうものなのだろうか。『佐左木俊郎選集』(英宝社1984)の年譜にあたってみたが『新人』の雑誌名は見当たらない。ただし、高見順が記している『新人』大正14年(1925) 8月号という時期に近い同年7月に《掌編「鋭毛」を執筆(発表誌未詳)》とある。『新人』は龍渓書舎から覆刻版が出ているので確認したいところであるが、ただいまは新型コロナウイルス禍で、図書館も閉まっている。いずれ。

(本郷教会の雑誌『新人』と、吉野作造のもとに集った東大学生組織「新人会」とは、もともと別物であると言っていいと思うが、1926年の終刊に至る末期はマルクス主義化した新人会が執筆者の中心になった、ということなのだろうか。)(写真はネットより拝借)