本居宣長と小津安二郎:石坂昌三『小津安二郎と茅ヶ崎館』

20110516時点で、以下のように、本居宣長小津安二郎とを縁戚関係にあると書いたが、その後、縁戚関係にはないという説が有力であることを知った。


本居宣長小津安二郎石坂昌三小津安二郎茅ヶ崎館』

 小津安二郎本居宣長とがその経歴において松阪を共通にすることは知っていたが、縁戚関係にあるとは全く思ってもみなかった。
  石坂昌三小津安二郎茅ヶ崎館』(新潮社、1993年)を読んでいて、「十七 「もののあわれ」」の章の冒頭は次の文で始まる。(ちなみに、小津がシナリオを書くための定宿としていた茅ヶ崎館はいまも営業をしており、私も時々使います。)
小津安二郎が江戸時代の高名な国学者本居宣長と同じ血を引く、と知ったら驚く人が多いはずだ。》
そう、私も驚いた一人である。
 小津は11歳の時に小津家の郷里の松阪に移転し、学校を終えて一時期代用教員として小学校に勤め、上京して松竹に入った――この程度ならば知らないわけではなかった。本書によれば、――小津家は紀州湯浅の出に因んだ「湯浅屋」という屋号で、代々松阪木綿を扱い、松阪に大きな店を構え、宏壮な屋敷のある「伊勢商人」であった。家督を弟に譲った祖父が明治初年に上京し、日本橋で海産問屋を開き、父の代に深川に移り肥料問屋に変わったが、「湯浅屋」松阪本店の支店を兼ねる裕福な商家だった。
 一方、宣長の幼名は「小津富之助」。1730(享保15)年、木綿商の小津三四右衛門定利の長男として松阪に生まれた。
  つまり二人ともに「小津家」の出である。では「小津家」とは。これは石坂著には記載されていない。今後の探究課題にしておく。
参考のために「小津紙業」のサイトを引用しておく(http://www.ozuwashi.net/330/001.htm)。 《松阪には小津姓が多い。そのいわれについては、本居宣長が『家のむかし物語』 のなかで先祖や縁者のことを述べつつ、小津姓のゆかりを記している。 松阪の近郊の小津村から油屋源右衛門という人が松阪に移り住んで、小津を名乗ってから、 小津を家名とする人が多く出たといわれている。 小津姓の人には商売を志す人が多く、江戸大伝馬町にも小津を名乗る店が多く、 江戸店を経営して分限者となった人も少なくない。小津清左衛門長弘が店をもったとき、 大金を融通してくれた小津三郎右衛門(三四右衛門ともいう、本居宣長の曾祖父に当る)もその一人で、 本居宣長が「江戸に店を創置(はじめおき)て一家を起し」「かの地大伝馬町一丁目に、 木綿店三店を創置玉(はじめおきたま)ふ」と記しているその人である。 本居宣長の家系は宣長の五代前までは本居姓であって、四代前から小津姓となった。 そうしたわけで宣長も家業の商売に従事していた青年時代は小津姓だったが、 商売から転向して医者になるため京都へ修学にいったときに、先祖の旧姓「本居」と改めたのである。》