海後宗臣、佐藤誠実、広池千九郎

20110407

海後宗臣、佐藤誠実、広池千九郎

ツイッター3月28日で発信した内容(下記のAとB)に関連して、武蔵野美術大学高橋陽一先生より、論文抜き刷や書籍をお送りいただいた。これまで大学出版部のことなどで電話でお話ししたことのある方で、3月新刊の『戦時下学問の統制と動員』(東大出版会)の著者でもある。
 さっそく「日本教育史学の成立と国学−−日本教育史略、文芸類纂、古事類苑、日本教育史の関係」(『明治聖徳記念学会紀要』復刊第47号、平成22年11月)を拝読。ツイッターAで書いた海後宗臣『日本教育小史』のもととなったラジオ放送の題は「佐藤誠実の日本教育史」である。高橋論文は、佐藤『日本教育史』(1884年初版)に至る、明治初期の「近代国学」による日本教育史の著述の系列を追ったものである。その特徴は文化全般を対象とした日本教育史である。この流れは、昭和戦前期に海後『小史』によって再発見されたものである。論旨展開の見事さと説得性に感心した。
 おそらく、日本の近代文化は、西洋文化の導入よって成立したものであると同時に、あるいはそれ以上に、国学・漢学・儒学を基礎として成立したものであり、この高橋論文も、そのことを証ししたものと読むことも可能であろう。
 なお、『古事類苑』の編纂事業にあたって、編集長である佐藤誠実のもとに力を尽くした一人が広池千九郎である。佐藤と広池がここでつながるところが興味深い。広池は、福澤諭吉と同じ大分県中津市の出身であり、また今日の麗澤大学創始者である。私は大学出版人として、麗澤大学出版会を通して広池に関心を寄せている。この点も、高橋論文から学んだところである。

3月28日ツイッターA
 3月26日、海後宗臣(かいご・ときおみ)著『日本教育小史』(日本放送出版協会、ラヂオ新書18、昭和15年6月25日発行)を古書店で購入した。3.11大震災後、初めてである。半月も本を買わなかったことは、ここ40年ほどなかった。3.11の脅威の大きさを思う。
 海後宗臣(1901−87)は、吉野作造が中心となって組織した明治文化研究会の会員。1951年の東京大学出版部の時に『日本教育の進展』を、また、東京大学出版会以降、編著として『戦後日本の教育改革』全10巻(1969-75年)、『井上毅の教育政策』(1968年)他を刊行。
海後『日本教育小史』をもとめたのは、出版の歴史は教育の歴史と重なるものであり、出版を知るには教育を知る必要があるからである。本書は昭和14年創刊の「ラヂオ新書」の一冊。50銭。箱入り。新四六判として広告。13年創刊当時の岩波新書と判型、定価が同じ。
 ちなみに、創刊当時の岩波新書は、現在のと比して、左右幅が5ミリほど大きい。昭和21年刊の矢内原忠雄『日本精神と平和国家』岩波新書100番の判型は完全に四六判である。

3月28日ツイッターB
 3月新刊の駒込武ほか編『戦時下学問の統制と動員』(A5判800頁)は、現在に至る学会編制の契機となった「日本諸学振興委員会」(1936年設置)の研究。「教学局と日本諸学振興委員会」「芸術学会」を高橋陽一先生が執筆。税別12000円と高価だが、興味津々の内容の本。管轄した文部省思想局→教学局は『国体の本義』を推進したところ。教育学では海後宗臣も重要な人物として登場している。