内田魯庵全集の欠陥

20110516

 5月18日に東京外大で90分授業をしたときに、学生から内田魯庵についてもっと話してほしいと言われた。学生は山口昌男内田魯庵山脈』を読んでいての希望だった。その時は時間の関係である側面を話す程度にとどめ、後日に連絡することとした。そして、自分の関連する文章をチェックしていたら、表題のものが出てきた。学生の質問に答えるというわけではないが、このブログで公開する意味があるかもしれないと思い、以下に載せる。

本作りに携わる人間として、上梓された本の問題点について、やはり記録しておく責務がある。もちろん、ほーっておいても、自然に淘汰されることもあるが、こと個人全集となると、再び編集され出版される機会があるかどうか分らないものであるだけに、欠陥を指摘しておくことが重要である。
 私が見たものは
 A ゆまに書房1987年刊行の補巻2。
 B 私の所持している単行本の『獏の舌』、A5判、大正10年5月17日初版の第4刷(同年7月5日)
 C 同じく『バクダン』大正15年1月20日発行の縮刷版である。(全集の解題によると、A5判の本が大正11年11月15日に出ていることに言及しているが、この縮刷版の存在には触れていない不親切なものである。)

 全集をチェックしようと思ったのは、Cを読んでいて、滅字というよりは字が消えている個所がいくつかあったためで、その確認が目的であった。その時は、CがA5判で刊行されていることは知らなかった。Aを見ていくつかの文字を確認できたが、ある個所でビックリ。Cでは消えていた1文字分の空白が、Aでは空白を詰めて、上下の文字をつなげている。読めないわけではないが、不自然な文章となる。こんな作り方をしているのか、と驚きましたね。以上が欠陥1.
 欠陥2:原文のルビの不採用。BとCはパラルビなので、全集版で全部復元せよとは言わない。部分復元でいいが、しかし、特殊なものは残すべきである。例をあげると、原文では「秘密」に「ないしよ」とルビが付いている、また「切歯」に「はぎしり」というルビが付いている。これらのルビが省略されている。「準備」に「ようい」と付いている個所などは原文通り復元されているし、「当つて」の漢字には「あた」とルビが原文・全集とも付いている。全集のルビの方針が全くわかりません。
 欠陥3:出典調査の不備。B『獏の舌』には、読売新聞に連載された「獏の舌」と、単行本には出所が示されていない「獏の耳垢」が収められている。Aでは、この「獏の耳垢」について「初出については、掲載誌、発表年月日共に不明である。」と記載されている。Bで100ページほどにも及ぶ連載の初出が分らないものかねえ、と不審に思った。たまたま、筑摩書房の『明治文学全集24 内田魯庵集』を開いていたら、「獏の耳垢」と類似の文章が「楼上雑話」として載っている。筑摩版の解題によると、これは『学鐙』に連載されたものであり、連載に手を入れたものが「獏の耳垢」として『獏の舌』や『書斎文化』に収録されているが、筑摩版では改訂以前の「刻々の生のものをおさめた」とある。つまり、ゆまに書房魯庵全集で解題を担当している「片岡哲」という人は、魯庵の業績の中心たる『学鐙』を開くこともなく、(魯庵全集刊行の前に出ている)『明治文学全集24 内田魯庵集』を開いてもいないのだ。素晴らしい。
 欠陥4:B『獏の舌』には本文枠の上部に小見出しがついている。これがAでは一切省略されているし、その旨が解題で断られているわけでもない。Bの小見出しは、本文が改行となっていない個所にもついていて、全集の際に単純に窓見出しにすればいいというわけではないので、処理に厄介であることは分かる。しかし、工夫の余地がありそうだし、少なくとも解題で断るくらいはすべきだ。
 さて、欠陥5というよりは、傑作。単行本では多くの写真・図版が掲載されている。Bでは11頁、Cでは14ページ分が別丁で本文該当箇所の近くに入っている。色版やコロタイプも使用されている。写真・図版を見ているだけでも(印刷技術を割り引いても)楽しい。全集の場合、それが省略されることがあるのは、遺憾ながらやむをえない。ゆまに版でも、大幅に減数され、口絵8ページとなっている。これに文句をつけるつもりはない。
 笑ってしまったのは、単行本にはない写真が追加されていること。それも、解説者たる「野村喬」なる人が撮影した「パリのモンマルトル墓地にあるゾラの墓」の写真を添えている。『バクダン』を読めば、魯庵が写真について先駆的な一家言をもっていることは分かるだろうに、こともあろうに、魯庵が選択した写真・図版を3分の1以下に減らして、自分の旅行の際に撮った写真を掲載するとは。何たる不遜な越権行為。魯庵魯庵精神に対する不敬罪
 この野村喬という人は、よく調べていて篤実な研究者という印象を持っていたのだが、傲慢鼻もちならない人物にみえる。『明治文学全集24 内田魯庵集』の年譜作成者である歌田久彦は最大級の謝辞を野村に対して述べているから、野村が「楼上雑話」を知っているはずなのに、「片岡哲」の解題の不備についても目を向けていない。「大正デモクラシー」についての理解も一知半解。
 そしてまた、私から見てふしぎなのは、ゆまに書房。近代日本文学ではかなりいい企画を扱っていて、それなりの慧眼を感ずるのだが、この体たらく。そして直接の編集担当者が何をしていたのか。(他人ごとではありません。)

 

20110517

 内田魯庵全集の欠陥について先に記した。その編集方針はどううたわれているのか。編集方針についての記載を探すために第1巻を開いた。
「この全集編纂の原則として著者生前刊行の単行本収録のものを底本として尊重し、その他は新聞雑誌発表のものに拠る」とのみあって、残念ながら、字体・かなづかい・ルビ・見出し・図版・まえがきあとがきなどについての扱いについて、明記されていなかった。そしてまた、第1巻「文芸評論・研究?」の解説で付記として「紙幅の都合で若干の作品評を割愛した」と記載されていて、本全集が、魯庵の仕事の全体を収録したものではないことが示されている。全集の編集方針が示されず、分量の都合で文章を載せない(その割愛した文章名も明記されていない)のでは、本当に困る。
 また、第1巻の奥付裏広告によると、全巻構成は、13巻プラス別巻の計14巻であるが、今私たちが手にするのは、13巻プラス補巻3プラス別巻の計17冊である。当初計画から大きく膨らんだものとなっている。

 あきれかえっていてネットでこの全集の問題点を指摘するようなものないかと検索していたら、『書評のメルマガ』2003年のサイトに次のような記事があった。

★野村喬(72歳)演劇評論家 2月16日死去
 ぼくは「ゆまに書房」という出版社にいたことがあるが、そこが1980年代に出した『内田魯庵全集』(全13巻・別巻1・補巻3)は、野村喬氏の企画編集によるものだった。最初はもっと少ない巻で完結させる予定だったが、野村氏が未発見の魯庵の文章を次々に発掘してくるので、その執念に負けて、巻数を増やしたと聞いた。ぼくはお会いしたコトはなかったが、この全集はエッセイの巻を手に入れて、ときどき読んでいる。もう一冊、『内田魯庵伝』(リブロポート)もあり、いずれ読んでみたい。

 これが事実だとすると、編者の野村喬の当初のプランが十分ではなく、増巻したことが分かる。そうだとすると、ゆまに書房としては増巻することによって編者の要望に応えようとしたが、それでも割愛せざるを得なかったのだと思われる。全集を編纂しようとすると、予想外の発見があって、巻数が増えることはありえることである。魯庵全集もそうだったのだ。
 なお、この全集の印刷所と製本所は途中から変わっている。また、解説の組み方が9ポイントから8ポイントに変わっている。これは推測だが、全集の刊行が順調満帆ならば、業者を変えることはないだろう。また、編集担当者が同じだったら、解説の文字の大きさを変えることはないだろう。全集刊行の途次、刊行に大きな支障をきたし、担当編集者の交代もあったと考えるが、これは、全くの推測でしかない。

 本全集への注文。
 ①全集の編纂にあたっては、編集方針を明記すること。
 ②にもかかわらず変更があったときは、その旨を明記すること。
 
最後の文句を一つ。全13巻・別巻1・補巻3の本全集の解題で、初出誌紙と単行本との文章の異同の主要な箇所を示している。遺憾ながら、異同の箇所を示すのみで、何がどう変わったかは示されない。解題者の研究ノート心覚え的な自己満足にしかすぎない。