吉野作造

吉野作造と共産党宣言:鈴木東民・宮沢賢治

20110411 戦後初期の読売争議のリーダーとして知られる鈴木東民を描いた作品に鎌田慧『反骨 鈴木東民の生涯』(講談社、1989年)がある。この中に東民が吉野作造から頼まれて『共産党宣言』を翻訳する話が出てきて、驚いた。森戸事件では、吉野自身は必ずし…

吉野作造とエスペラント

20110410 臨済宗南禅寺派の禅僧で仏教学者の柴山全慶は「教界エスペラント運動茶話」(1960年)において、《日本で最初にエス語を研究した人が明治33年東大在学中の吉野作造氏であるとすると・・・。聞くところによると、あの博物学者で名高い丘浅次郎博士が…

吉野作造と森戸事件

20110410 吉野作造と森戸事件 東京帝国大学の編制変えが行われ、法科大学が法学部と経済学部となったのは1919年4月である。そして法科大学の政治学・経済学・公法学分野の機関誌であった『国家学会雑誌』から独立するかたちで経済学部の機関誌『経済学研究』…

震災後の吉野作造:甘粕正彦

20110406 震災後の吉野作造:甘粕正彦関東大震災の翌年大正13年1924年11月、吉野作造は「悪者扱さるゝ私」において憲兵の機関誌『軍事警察雑誌』を引き、憲兵や右翼から狙われていることを敢えて活字に残し、江湖の注意を喚起していた。そして、大正15年1926…

震災後の吉野作造:自宅放火される

20110406 吉野作造の三女・光子は2006年2月に亡くなっている。100歳。その遺族が同年8月に吉野作造記念館に寄贈したもののひとつに、吉野が晩年住んでいた東京駒込の家に掲げられていた自筆の表札がある。自分の名前と住所を記しているという。この表札は…

震災後の吉野作造:「悪者扱さるゝ私」

20110406 震災後の吉野作造:「悪者扱さるゝ私」 3.11大災害後、宮城県大崎市出身である吉野作造の関東大震災以後の文章を読み返している。『公人の常識 主張と閑談第四集』(文化生活研究会発兌、大正14年12月18日発行、大正15年1月24日四版、定価2円)の中…

震災後の吉野作造:殺害の対象

20110406 震災後の吉野作造:殺害の対象戦前は羽田書店*に入り、1945年みすず書房の設立に携わり、45年間編集責任者をつとめた小尾俊人は、戦後を体現する代表的編集者のひとりである。小尾の『出版と社会』(幻戯書房、2007年、654頁、税込9975円)は、関東…